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沖縄県の翁長知事が急死したが、辺野古移設の承認を撤回する彼の最後の決定は正常な判断とはいえない。移設はもともと米軍基地の整理・縮小策の一環として日本政府が持ち出し、国も沖縄県も決めた話だ。翁長氏は自民党沖縄県連の幹事長として「県内移設」を推進した中心人物である。

ところがこの話を鳩山首相が「最低でも県外」と約束してぶち壊した。それ元に戻した仲井真知事は、2013年末に辺野古容認と引き替えに8年間で2.4兆円の補助金を獲得し、「有史以来の成果」と喜んだが、翁長氏はこれに反対した。すでに2000億円以上が地元に前払いされ、引き延ばせば毎年、数百億円が地元に落ちるからだ。

翁長氏は2014年の知事選挙では、仲井真氏に対して移設反対を掲げて当選した。戦後の沖縄では、労働組合や革新政党は反基地を叫び、保守陣営がそれを抑える見返りに本土から補助金を取る自作自演の茶番劇が続いてきたが、革新の力が落ちたので、翁長氏が反基地に転向したわけだ。ここに至る彼の屈折した軌跡の背後には、沖縄を利用してきた本土の罪もあるが、これを機に問題をリセットするときではないか。

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