きのうの記事でも書いたように、日本の低成長の最大の原因は高齢化による労働人口の減少なので、マクロ経済政策では解決できない。金融政策が役に立たないことはもう明らかだが、財政出動も短期的な意味しかない。財政赤字の分だけ総需要は増えるが、それが終われば元の木阿弥だ。
GDPを維持する一つの方法は移民を受け入れて人口を増やすことだが、これは社会保障を混乱させ、一人当たりGDPを上げる役には立たない。女性の労働参加率を高めることは意味があるが、今はかなり高くなったので劇的な効果は期待できない。
労働人口の減る中でGDPを上げるには、労働生産性(労働者一人当たりGDP)を上げるしかない。これは算術的には当たり前だが、具体策ははっきりしない。安倍政権の「生産性革命」も、成果はまるで上がっていない。本書は、日本企業の生産性が上がらない原因は「奇跡的に無能な経営者」を政府が甘やかしてきたからだと指摘する。その原因は次の5つだという。
GDPを維持する一つの方法は移民を受け入れて人口を増やすことだが、これは社会保障を混乱させ、一人当たりGDPを上げる役には立たない。女性の労働参加率を高めることは意味があるが、今はかなり高くなったので劇的な効果は期待できない。
労働人口の減る中でGDPを上げるには、労働生産性(労働者一人当たりGDP)を上げるしかない。これは算術的には当たり前だが、具体策ははっきりしない。安倍政権の「生産性革命」も、成果はまるで上がっていない。本書は、日本企業の生産性が上がらない原因は「奇跡的に無能な経営者」を政府が甘やかしてきたからだと指摘する。その原因は次の5つだという。
- 株主のガバナンスが弱い
- 労働組合の弱体化
- インフレがない
- 超低金利政策
- 輸入がきわめて少ない
1は株式の持ち合いなどで資本主義が機能しないという日本企業の体質的な問題で、変えることは容易ではない。それを著者は賃金の低さと結びつけ、最低賃金を2020年に1225円に引き上げるべきだというが、安倍政権の「3%賃上げ」要請は空振りに終わった。
最低賃金を引き上げると労働需要が減って失業率が上がる、というのが標準的な経済理論だが、現実には失業率にはあまり影響せず、低賃金で労働者を酷使している中小企業が淘汰される、というのが著者の意見だ。しかし収益率の低い中小企業が生き残っているのは資本市場が機能していないためで、賃金だけを上げても体質は改善できない。
2の労働組合が弱い(組織率が低い)のは日本の特徴で、インフレにならないのも労使交渉で賃金が決まらないことが大きな原因だ。非正社員(特に主婦のパート)の労働供給は弾力的で、大企業の正社員は雇用を守るために賃上げを要求しないので、労働需給が賃金に反映されない。
こういう甘えを生み出しているのが、4のマクロ政策だ。1990年代後半からゼロ金利で非効率な中小企業を延命し、彼らが「内部留保」を貯め込んだために企業部門が貯蓄超過になり、さらにゼロ金利が続いた。これによって生産性向上のプレッシャーがなくなったことが無能な経営者を延命している、というのが著者の見立てである。
日銀の過剰な金融緩和が生産性向上のプレッシャーを弱めているという指摘はその通りだが、企業の収益率が低いために銀行がゼロ金利の国債を買うという面もある。日銀が出口政策で金利を上げると、地方金融機関や中小企業が淘汰されて体質改善が進むかもしれない。日本経済に足りないのは新陳代謝だという著者の指摘は、その通りである。
最低賃金を引き上げると労働需要が減って失業率が上がる、というのが標準的な経済理論だが、現実には失業率にはあまり影響せず、低賃金で労働者を酷使している中小企業が淘汰される、というのが著者の意見だ。しかし収益率の低い中小企業が生き残っているのは資本市場が機能していないためで、賃金だけを上げても体質は改善できない。
2の労働組合が弱い(組織率が低い)のは日本の特徴で、インフレにならないのも労使交渉で賃金が決まらないことが大きな原因だ。非正社員(特に主婦のパート)の労働供給は弾力的で、大企業の正社員は雇用を守るために賃上げを要求しないので、労働需給が賃金に反映されない。
こういう甘えを生み出しているのが、4のマクロ政策だ。1990年代後半からゼロ金利で非効率な中小企業を延命し、彼らが「内部留保」を貯め込んだために企業部門が貯蓄超過になり、さらにゼロ金利が続いた。これによって生産性向上のプレッシャーがなくなったことが無能な経営者を延命している、というのが著者の見立てである。
日銀の過剰な金融緩和が生産性向上のプレッシャーを弱めているという指摘はその通りだが、企業の収益率が低いために銀行がゼロ金利の国債を買うという面もある。日銀が出口政策で金利を上げると、地方金融機関や中小企業が淘汰されて体質改善が進むかもしれない。日本経済に足りないのは新陳代謝だという著者の指摘は、その通りである。