総力戦のなかの日本政治 (日本近代の歴史)
20世紀は総力戦の時代だった。それは全国民と莫大な資源を長期にわたって総動員する戦争だから、総力戦に生き残ることが国家の最優先の目的になった。デモクラシーや主権国家も、それに適した制度だった。

しかし日本の政治的エリートが、総力戦を意識し始めたのは、1930年代に入ってからだ。それは陸軍では石原莞爾や永田鉄山だが、政府の中枢で国家総動員法を立案したのが、東京帝大法学部教授の矢部貞治である。彼は狂信的なファシストではなく、リベラルな社会民主主義者だった。

矢部は近衛文麿の顧問となって大政翼賛会を指導したが、世界大恐慌による経済危機を克服するには、自由主義や資本主義ではだめだというのが彼の思想だった。ヨーロッパ的な個人主義を超える「協同主義」が必要だというのは、同じく東大の蝋山政道など昭和研究会に集まった当時の知識人のコンセンサスだった。

政府が経済を計画的に管理する体制は日本に固有ではなく、ヒトラーの国家社会主義も、ルーズベルトのニューディールも、総動員体制という点では似ていた。その目的は当初は失業対策や格差是正だったが、次第に軍と一体化し、総力戦体制に変質していった。それは戦争が最強の雇用対策だったからだ。

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