フンボルト理念の終焉?―現代大学の新次元
「文系に科研費はいらない」という私のツイートに大きな反響があるが、大学は教授の生活を学生が支える集金装置なので、文系の教授はサラリーで十分生活できるはずだ。科研費は実験器具などを使う「科学研究」に限るべきだが、研究支援のシステムは必要だ。むしろ研究費を「大学教育」という無意味なサービスの対価として徴収する大学制度に問題がある。

今のような大学ができたのはそれほど古い話ではなく、中世のユニバーシティとは無関係だ。19世紀ドイツでフンボルトやフィヒテなどがつくったベルリン大学は、研究者の養成機関だった。教授は「実験室」(ラボラトリ)単位で数十人の学生を集め、彼らを使って研究をおこなった。その経費は、授業料という形で学生の親から徴収した。

つまりドイツの大学は研究を通じた教育と称して、研究費を授業料でまかなうトリックだったのだ。専門的な教育は一般の労働者には役に立たなかったが、エリートを養成する制度としてはよくできていた。他の国のカレッジは教養科目だけだったので、優秀な研究者はドイツに集まり、特に物理学では20世紀初頭までの主要な業績をドイツが独占した。しかしそれは第1次大戦後に凋落し、大学の中心はアメリカに移った。

「講座制」がドイツの大学をだめにした

その大きな原因は第一次大戦でドイツが負けたことだが、本質的な原因はドイツの大学が「一分野一教授」制度の徒弟制度を敷いたことだ。これは日本の講座制と同じで、教授はその後継者を1人だけ選ぶので、ポストは不足し、若い研究者は「非正規」の教員になる。第一次大戦後の貧困の中で、ドイツの優秀な研究者はアメリカに職を求めて流出した。

他方、アメリカではカレッジの退屈な教育よりドイツの創造的な研究のほうが魅力的なので、そういう研究者を「大学院」という形で迎え入れ、大学教育は6年に延長された。こうして大学の大衆化と大学院による専門教育が広がり、やがて修士が高級ホワイトカラーの必要条件になった。

結果的には、グローバルな学歴製造装置となったアメリカの大学が世界から優秀な研究者を集め、それが優秀な学生を集めるという好循環で、アメリカの一流大学は、突出した競争力をもつようになった。ドイツのような講座制をとらず、助教授にはテニュアを与えないで競争にさらすシステムも、アメリカの地位を強化した。

日本で「スーパーグローバル大学」をつくろうという文科省のねらいは、こうした大学制度を改革しない限り実現しない。特に定員削減のあおりを若い研究者にしわ寄せし、准教授以上に自動的にテニュアが与えられる一方、若い研究者が「非正規化」する傾向が強まり、かつてのドイツのように縮小する労働市場に絶望した若い研究者が海外に流れている。

こういう雇用慣行が変わらない限り、東大が世界の一流大学に追いつくことはできない。アジアの大学にも、追い越されつつある。大学進学率が50%を超えた日本では、エリート養成を目的とするフンボルト型大学は時代錯誤である。大部分の学生に必要なのは研究ではなく、職業教育である。