Political Order and Political Decay: From the Industrial Revolution to the Globalisation of Democracy
国会では野党の「合同ヒアリング」で官僚たたきが続いているが、法的根拠もないヒアリングに朝から晩までつきあう官僚は、ご苦労様というしかない。実質的な力関係では圧倒的に強い官僚が、無力な弱小野党にまじめに付き合うのは、武士の時代からの伝統かもしれない。フランシス・フクヤマはそう論じている。

本書は『政治の起源』の続編(なぜか4年たっても訳書が出ない)だが、近代国家の発展にとって政治腐敗を防ぐことが重要だったと論じている。その中で、非西洋世界のモデルとされているのが日本である。フクヤマは江戸時代の武士を「当時の世界でもっとも清潔な合理的官僚だった」とし、その原因を儒教に求めている。

しかし儒教の本場である中国では、科挙によって高度な知的エリートが生まれたが、大規模な腐敗も生まれた。官僚自身は公正な試験で選ばれたが、それに合格するには幼いころから巨額の教育投資が必要だった。そういう秀才は数万人の親族集団(宗族)の中から選ばれ、科挙に合格すると親族を宮廷に入れて養う義務を負うため、腐敗が制度化されてしまった。これを監視するのが宦官だったが、彼らも腐敗する。

これに対して日本では科挙のような能力主義はなく、武士の家は長子相続で世襲されたが、中国のような腐敗は起こらなかった。その原因は儒教でないとすると何だろうか。

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