歴史の教科書では、いまだに明治憲法は「遅れた不十分なデモクラシー」だったと教えているようだが、これは逆である。明治維新より前に近代国家ができていたのはフランスとイギリスぐらいで、ドイツ帝国は1871年、イタリアが統一されたのは1870年、アメリカは南北戦争(1861~5)でようやく連邦を統一したばかりだった。日本はむしろ近代国家としてのスタートは早かったのだ。

19世紀末から君主制と民主制の「制度間競争」が始まったが、第一次大戦で明らかになったのは、デモクラシーは総力戦に強いということだ。ドイツもオーストリアもロシアも、帝政は戦争ではなく国内の革命で転覆された。日本がそこから学んだのは「大正デモクラシー」で国民を政治に参加させることが、総力戦に国民を動員する上で重要だということだった。

この意味で、デモクラシーはナショナリズムに通じる。福沢諭吉が「政府ありて国民なし」と嘆いたとき、国民を動員する目的は戦争だった。彼が日清戦争に賛成したことが批判の的になるが、当時の日本にとっては朝鮮半島が防衛線だった。そして戦争を遂行するためにもっとも重要な思想が「自分の国のために死ぬ」というデモクラシーだった。

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