渡邉恒雄回顧録 (中公文庫)
放送法4条をめぐる騒ぎの原因がどうやらナベツネらしいと聞いて、彼の回顧録を読んでみたが、思ったより常識的な人だった。意外なのは、主筆になってからも自分で原稿を書いていることだ。そんなこと当たり前だと思うだろうが、政治家に都合の悪い原稿を「おさえる記者」が政治部では出世する。

NHKの海老沢勝二氏はその典型で、その前の島桂次は派閥のボスだった。朝日新聞でも三浦甲子二(テレビ朝日専務)は、まったく原稿の書けない記者だったが、田中角栄に取り入ってテレビ朝日をつくった。逆にスクープを書ける記者は出世しないが、ナベツネ氏は主筆と社長を兼ねる大記者だった。

ロビイストとしても優秀で、1960年に岸内閣が総辞職するときの政府声明を彼が書いたり、中曽根内閣の「死んだふり解散」を提案したりしている。大手町の社屋をめぐる政界工作では、社内政治に敗れてワシントン支局長に「左遷」されたが、アメリカでもちゃんと仕事をした。そういう経験が経営にも生きている。公平にみて、社会主義者の経営した朝日新聞よりまともだ。

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