国民国家と戦争 挫折の日本近代史 (角川選書)
日本は島国で同質的なので、昔から日本人というまとまりがあったと思う人が多いが、それは逆である。江戸時代まで「自分は日本人だ」と思っている人はいなかった。だが国民を戦争に動員するには「この国は自分の国だ」という愛国心が必要なので、明治政府は短期間に「国民」を作り上げた。

国民とは何だろうか。出生地主義では、アメリカ合衆国に生まれた人はすべてアメリカ国民になるので、多様な言語や文化をまとめる理念が必要だ。それが民主主義である。すべての国民が主権者になるというのはフィクションだが、戦争に勝つために必要なフィクションだった。

これは抽象的でわかりにくいので、明治憲法は国家を天皇という記号で表現し、国籍法は血統主義をとった。これは日本人の子供でないと日本人になれないという考え方だが、そこには矛盾があった。台湾や朝鮮を植民地にしたとき、日本は「多民族国家」になったからだ。日本政府は台湾人や朝鮮人を「皇民」として同化させる政策をとったが、彼らは血統主義では「日本国民」にならないので、兵役がない代わりに参政権もなかった。

暴走した国民

このような国民と国家のずれは、大正デモクラシーで国民が主人公になったときから大きくなった。帝国議会には立法権はなかったが、政府の出した法案の拒否権はあったため、議会は普通選挙で一挙に増えた有権者の意向を反映するポピュリズムに傾いた。明治憲法は天皇主権という建て前だが、現実には政府と議会の取引で政策が決まるようになった。

それでも日本は大急ぎで国民国家と近代的な軍隊を輸入したが、日本から半世紀近く遅れて近代化した中国は、「中華」のプライドがじゃまして西洋の制度を輸入できなかった。日清戦争で日本軍と戦ったのは袁世凱の軍閥であり、その後も各地に軍閥が割拠した。辛亥革命も袁世凱に乗っ取られ、中国の近代化は挫折した。

しかし中国が国民国家になれなかったことが、日本が日中戦争に勝てなかった原因だ。1937年に日本軍は首都の南京を占領したので、国民国家ならそこで戦争は終わりだが、蒋介石は重慶に退却してゲリラ戦を続けた。日本は「統帥権の独立」で指揮系統が混乱し、戦争は長期化した。

1930年代の日本はドイツやイタリアのような独裁国家になったのではなく、主権者のいないアナーキー状態になった。「挙国一致」のために政党を解散して結成された大政翼賛会は「幕府的存在」だとして右翼の攻撃を受けた。バラバラの官僚機構の中で陸軍が実権を握り、主権者を失った国民は戦争に熱狂した。暴走したのは軍部ではなく、国民だった。

結果的には、国境を超えた国民の形成を想定していなかった明治憲法の矛盾が、ナショナリズムのゆがみを生み出した。わかりにくい国民という観念を天皇という記号で置き換えた「国体」は、敗戦によって一夜にして消滅した。今も日本人にとってナショナリズムは、なじみのない思想である。