財務省の文書改竄事件で改めて感じるのは、日本の「国のかたち」は明治以来、一貫して官僚支配だったということだ。これは必ずしも悪い意味ではなく、ウェーバー的な理解では、官僚制は近代国家の合法的支配と同義である。外交・防衛の「表の国体」と「裏の国体」の図式を応用すると、こんな感じだ。
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「表の国体」では国民の負託を受けた国会が、法によって内閣(行政)を支配することになっているが、現実には行政の大部分は官僚の裁量で決まる。法で支配できるのは行政国家のごく一部なので、合法的支配というのはフィクションだ、とカール・シュミットはウェーバーを批判した。国家を統合するのは法という入れ物ではなく、国民の主権者としての意識なのだ。

明治憲法では「表の国体」は天皇主権だったが、新憲法では国民主権に変わった。しかし官僚支配という「裏の国体」は同じで、全体を統括する主権者がいない。こういう状態で「統帥権の独立」した軍部が独走したのが戦前の失敗だが、よくも悪くも戦後の日本はそうならない。「裏の主権」はアメリカにあるからだ。

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