近代日本の官僚 - 維新官僚から学歴エリートへ (中公新書)
森友学園の文書改竄では「忖度」を生む内閣人事局が諸悪の根源だということになっているが、こういう政治任用は先進国では当たり前だ。アメリカでは政権が交代するたびに、連邦政府の高官3000人以上が交代する。事務次官まで100%内部昇進の日本のような「純血主義」の官僚機構は、先進国では類を見ない。

日本でも戦前は、政治任用が当たり前だった。明治政府では長州閥が政府の主要ポストを独占したので、他の藩の優秀な人材が官吏にならなかった。このため伊藤博文は勅任官(政治任用)と奏任官(試験任用)の2種類の官吏をつくり、後者は高等文官試験で公平に選抜した。

各省の次官は政権の任命する政治任用だったが、大正期に政党政治が盛んになると情実人事が増えたので、山県有朋は勅任官も高文の合格者に限った。政党はこれに反発して政治任用を復活させようとし、その妥協の結果、各省の次官が政務と事務の2人いる奇妙な制度ができたが、実質的な権限は事務次官に集中した。

官僚の中心は枢密院と法制局で、特に法制局は各省庁が法案を提出する前に必ずチェックを受けなければならないため、弱い内閣に代わって政府の調整機能を果たした。法制局の長官は政治任用で、参事官は穂積八束や美濃部達吉など東大法学部の重鎮だったので、ここで法解釈も決まった。行政機関が立法も司法も行う日本型の官僚機構は、大正期にできたのだ。

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