世界宗教の経済倫理 比較宗教社会学の試み 序論・中間考察 (日経BPクラシックス)
人が救済を求めるのは、死に直面したときや絶望したときだから、救済を約束する一神教の強さは、不幸の増加関数である。昔から戦争の多かったユダヤの宗教が、戦争や疫病が流行したヨーロッパで流行し、今でも戦争の多いアラブにイスラム教徒が多いのは偶然ではない。

ウェーバーの『プロ倫』などの実証研究は、今では陳腐化しているが、彼の思想には価値がある。彼の著作は膨大だが、その思想を要約したのが本書に収められている「中間考察」である。ここでは彼が晩年の心境を語り、意味や救済について論じている。ここにはニーチェの影響が明らかだ。
合理的・経験的認識が世界を呪術から解放して、因果的メカニズムへの世界の変容を徹底的になしとげてしまうと、宗教的要請との緊張関係はいよいよ決定的となる。なぜなら経験的でかつ数学による方向づけが与えられているような世界の見方は、原理的におよそ現世内における事象の「意味」を問うというようなものの見方をすべて拒否する、といった態度を生み出してくるからである。
近代科学はキリスト教を否定して出てきたのではなく、キリスト教神学の延長上に生まれた。それは世界を合理化して大きな富を生み出したが、人々を原子的な個人に分解して世界を「脱意味化」した――という物語は、ほとんどニーチェの「ヨーロッパのニヒリズム」である。

続きは3月5日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。(まぐまぐに引っ越しました)