ネイションとエスニシティ―歴史社会学的考察―
ネット上で右派と左派がもめる最大の原因が国家である。右派は「国難」を強調し、安倍政権を「中韓に弱腰だ」と批判するが、左派は「強すぎる国」を批判して「国家はフィクションだ」という。確かに主権国家はウェストファリア条約以降の制度だが、それは国家に何の根拠もないことを意味するわけではない。

アンソニー・スミスのいうエトニ(ethnie)は、氏族社会より大きな文化的・言語的に同質の集団として古代からあった。日本語のクニは、このエトニに近い自然生長的な集団で、古代には「郷土」という意味だったが、次第に地方国家という意味になり、明治以降には国民国家になった。

このようにエトニが同心円状に拡大して「国家」になった文化圏は珍しい。漢語の「国」は人口の1%に満たない「皇帝と官僚機構」のことで、「中国」という名称は20世紀になって梁啓超のつくった言葉である。ヨーロッパでは、内戦で国(地方国家)が他の国を征服して統一国家になるのが普通で、イギリスもドイツもスペインも、いまだに地方対立を抱えている。

だからヨーロッパでは国家=国民(nation)としての意識が形成されたが、日本人は内戦をほとんど経験しなかったため、福沢諭吉が嘆いたようにネーションという主体がない。明治政府は長州藩というクニを拡大した藩閥政権で、国家という抽象的な概念を理解できない人民には天皇という記号が与えられたが、その意味は空白だった。

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