安保条約の成立―吉田外交と天皇外交 (岩波新書)
1951年のサンフランシスコ条約は戦後史の最大の分かれ目であり、このときの吉田茂首相の判断が今なお政治に決定的な影響を及ぼしている。このとき講和条約は「単独講和」として批判を浴びたが、いま考えればそれ以外の選択はなかった。「全面講和」は不可能だった。

問題は米軍基地を日本のどこにでも置ける安保条約(および行政協定)で、これは明らかな不平等条約だった。当初は吉田は、日本側首席全権としてサンフランシスコに行くことを拒否した。最終的には講和条約には全権6人が署名したが、安保条約には吉田が1人だけで署名した。これは安保条約への不満を示したものと思われるが、日米交渉の最高責任者としては異常な行動である。

なぜ吉田はこんな不平等条約を急いで結んだのか。安保条約に不満なら、なぜ時間をかけて対等な条約にしなかったのか。これは今も謎だが、本書はそれを説明する「仮説」を提案する。それは安保条約の早期締結が昭和天皇の意思だったというのだ。この仮説を裏づける証拠はまったくないが、状況証拠はないわけではない。

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