宇宙は無数にあるのか (集英社新書)
近代科学の元祖は、コペルニクスの地動説である。それは天動説という人間中心の宇宙を否定し、普遍的法則にもとづく宇宙を示したからだ。地動説では絶対的な存在は宇宙を支配する法則であり、それは神の摂理のメタファーだった。科学はキリスト教を否定して生まれたのではなく、キリスト教から生まれたのだ。

だが最近の物理学は、この「コペルニクス革命」を逆転しているようにみえる。1973年に人間原理(anthropic principle)が主張されたとき、それは「コペルニクス原理の逆転」だったと本書はいう。この宇宙のあらゆる定数が人間の生存に都合よくできているのは人間が生存しているからだ、というトートロジーは、当時は反証不可能な茶飲み話として一笑に付された。

いま人間原理を冷笑する物理学者はいない。無数の可能な宇宙の中でこの宇宙だけが存在している原因は、人間原理以外では説明できないからだ。ニュートンが万有引力の法則によって神の摂理を証明したとすれば、人間原理は科学の法則を疑い、あらゆる普遍的原理を否定する知的アナーキズムである。

「ヒュームの問題」への答

この疑問は、ニュートンとほぼ同時代のデヴィッド・ヒュームが提起した。「太陽があすも東から昇ることが証明できるのか」というヒュームの問題である。これは近代哲学の最大の難問で、科学的にも答が出せない。それは「自然法則がなぜ存在するのか」という問題と等価であり、科学の存在理由にかかわるからだ。

この疑問は、最近ますます深刻になっている。たとえば宇宙定数(λ)とよばれる真空エネルギーの密度は10-120だが、互いに無関係な素粒子の正負のエネルギーが偶然に相殺してちょうど0に近い値になる理由はない。これは偶然だが、人間にとっては必然だ。λが10-119より大きいと、宇宙が急速に発散し、銀河も生命も存在しえないからだ。

論理的根拠がないのは「光速一定」もシュレーディンガー方程式も同じだ。天文学では「重力が距離の2乗に反比例するという万有引力の法則が全宇宙で必ずしも成り立たない」という説さえある。この広い宇宙で同じ法則が普遍的に成り立つ必然性はなく、引力が100億年以上にわたって定数である根拠もない。

ニュートンの『プリンキピア』は数学理論であって、物理学の実証理論ではなかった。超弦理論という物理学の理論では、宇宙の数は10500以上とされている。そのうちの一つに太陽系のような天体ができ、その惑星の一つに人間のような高等動物が生まれる確率は限りなくゼロに近いが、ゼロではない。その証拠が、あなたの存在である。

だからヒュームの問題の答は科学的には存在しないが、論理的には存在する:この宇宙が存在するのは、そうでなければ宇宙を観察する人間が存在しえないからだ。宇宙のすべての定数の一義性を科学的に証明することは不可能だから、この答はおそらく永遠に正しい。