戦後の歴史を振り返ると、左翼の役割が意外に大きいことに気づく。今では左翼は無力な万年野党だと思われているが、1950年代までそうではなかった。1955年に左右の社会党が統一したことが、保守合同のきっかけだった。当時の社会党は、自民党と対等に闘う力があった。彼らがドイツの社民党のように現実的な社会民主主義で結集できれば、政権交代の可能性はあった。

しかし60年安保が、社会党に誤った成功体験を与えた。議会では多数を取れなくても、街頭デモの「直接民主主義」で岸内閣を倒したからだ。それが自民党にも恐怖感を与え、池田内閣以降の自民党ハト派は「低姿勢」になった。岸のような「強行採決」を控えて国会対策で野党を尊重する慣行も、このころできた。無能な野党を「生かさぬよう殺さぬよう」飼い慣らすことが、自民党の知恵になったのだ。

これは野党にとっても快適な状況だった。現実的な政策を掲げることは政権を取るには必要だが、それが不可能になると、野党には自民党のような「不純な」政策を提案するインセンティブがない。逆にいうと、どんな非現実的な政策を掲げても反証されないので、彼らは「平和憲法」や「福祉国家」の美しい理想を語ることができた。この意味で、左翼は政治的には敗北したが――というより敗北したがゆえに――理念的には勝利したのだ。

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