戦後日本の「論壇」では保守はつねに少数派で、圧倒的多数は左翼だった。そんな中で保守主義を自称した西部邁氏は「国家を否定する左翼が日本を亡ぼす」と警告したが、左翼は一度も政権を取れなかった。政権を独占した自民党は、既得権を守る保守政党だった。現実の世界では、圧倒的多数は保守派だったのだ。

しかし保守派は、自分たちの理念を語る言葉をもっていなかった。何を保守するのかがはっきりしないのだ。戦前なら、その答は簡単だった。万世一系の天皇を中心とする「国体」である。しかし戦後はそうは行かないので、「押しつけ憲法」を否定して自主憲法を制定する改革が保守派のアイデンティティになった。

逆に左翼は「平和憲法」を保守することがアイデンティティになった。これは既成事実に弱い日本人に向いた戦術だったので、この点だけは左翼が勝利した。憲法は保守されて「戦後日本の国体」となり、それを押しつけたアメリカが、日本の外交・防衛の意思決定を行う「主権者」となった。これを「対米従属」というのは間違っていないが、それ以外の道はあったのだろうか。

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