8西部邁氏が死去した。自殺と報じられているが、くわしいことはわからない。私は彼が1974年に東大に赴任したときの最初のゼミの学生で、その後も毎月のように飲み屋で会った。当時は「社会経済学」という境界領域を開拓しようとしたのだが挫折し、1988年に中沢新一事件で東大をやめた。

世間的にはそのころから有名になり、「朝まで生テレビ」の常連になってマスコミの流れを変えた。80年代までの論壇は左翼が圧倒的主流で、保守派は皇国史観の変なやつというイメージだったが、彼は左翼の一国平和主義を論破し、憲法の矛盾を追及して形勢を逆転した。

彼の主張は冷戦の終了とともに一定の支持を得るようになったが、次第に右寄りのスタンスを強めた。民主主義を否定して核武装を主張し、規制改革や民営化などあらゆる改革を否定する「反米保守」の教祖になった。「自虐史観」を否定する教科書グループに入って右翼を連れて飲み歩くようになり、私は飲み屋で彼の隣にいた右翼に殴られたこともある。

続きは1月22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。