今日のトーテミスム (みすずライブリー) (みすずライブラリー)
きのうアゴラの新年会で、ポリコレの話が盛り上がった。日本にもセクハラ騒動を輸入しようという人々が、顔を黒く塗った芸人を「人権問題」と騒いだりしているが、これには既視感がある。かつて日本でも部落解放同盟や朝鮮総連が「糾弾運動」で、役所やマスコミを攻撃した。ポリコレの最大の原因は民族差別だが、それはなぜこのように強いタブーになり、人の心を動かすのだろうか。

まず明らかなのは、差別の中身には意味がないということだ。肌が黒いことも、国籍が日本ではないことも、その人が劣っていることを意味するわけではない。だから民族差別は不合理だ、とポリコレ派は考えるが、これは誤りである。差別の意味は、他者を排除して自己のアイデンティティを作り出すことにあるのだ。

これはレヴィ=ストロースが探究した問題である。未開社会の人々が特定の動植物を「トーテム」として崇拝して(日常生活から切り離した)タブーにする意味は、それ自体では理解できない。トーテムは自他の境界を画す記号である、というのが彼の理論だった。このようなタブーは普遍的にみられ、日本のケガレもその一種と考えることができる。

ここで大事なのは何をタブーにするかという内容ではなく、一つの集団が同じタブー(記号)を信じているという形式である。タブーがお笑いと結びつくのも偶然ではない。自他の境界はもともと恣意的なものであり、「民族」の定義も不明だ。その境界を揺すぶることで、芸人(道化)は敵と味方を固定する集団に反抗しているのだ。

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