日本とドイツ 二つの戦後思想 (光文社新書)
日本の戦後史を語るとき、よく出てくる決まり文句が「ドイツはナチスを徹底的に追及して戦争犯罪を清算したが、日本は…」という話だが、これは作り話である。ドイツは東西に分断され、戦争犯罪についての国家としての統一見解はなかった。西ドイツはホロコーストを追及したが、東ドイツの指導者には抵抗運動でナチスと戦った社会主義者が多かったので、ホロコーストは「敵国の犯罪」だった。

他方で「ドイツは戦後60回も憲法を改正したのに日本は…」という話もおかしい。西ドイツは連合国の占領下で、1949年に「基本法」という暫定的な憲法をつくったが、それはいまだに正式の憲法にならず、講和条約さえ1990年まで結べなかった。日本でいうと、サンフランシスコ条約の前のような状態が、東西ドイツの統一まで続いたようなものだ。

だからその悩みも対照的だ。日本では天皇制が存続して明治国家との連続性が残ったことが問題になるが、ドイツでは第三帝国が解体されて国家の連続性が断ち切られ、各州に分断された。しかもベルリンを含むプロイセン州は東ドイツになったため、西ドイツは日本でいうと、関東地方から北海道までを除いた地方の集まりのようなもので、ドイツ国民としての求心力を何に求めるかが切実な問題だった。

そのアイデンティティを「憲法愛国主義」に求めたハーバーマスなどの左派に対して、右派は「連合国の押しつけた基本法はドイツの伝統ではない」と反発した。彼らにとってドイツは、ゲーテやカントやベートーベンを生んだ偉大な国民なのだが、それを左派は「歴史修正主義」と批判した。このへんは日本と似ている。

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