遺言~私が見た原子力と放射能の真実~
1950年代以降、政府は国策として原子力開発を進めた。そのころ原子力は夢のエネルギーで、鉄腕アトムもドラえもんも動力は原子力だった。エリート技術者は原子力に集まった。著者も夢を抱いて原子力技術者になったが、そのポテンシャルを十分発揮できないまま、原子力開発は3・11で頓挫してしまった。

しかし炉心溶融は原子力の宿命ではなく、軽水炉に固有の問題だ。軽水炉は核反応を制御棒で減速して水で冷却する構造なので、炉心溶融のリスクが避けられない。それはもとは軍事技術で、民間で使うには多重に安全装置をつけないといけない過渡的な技術と考えられていた。本命は制御棒なしで高速中性子を使う高速炉だったが、原子力潜水艦で実用化した軽水炉が世界標準になった。

著者の発明した4S炉も高速炉の一種で、出力は1万~5万kWと超小型なので制御しやすい。最大の革新は、出力が小さいため、燃料棒が過熱すると膨張して密度が下がり、中性子の連鎖反応が止まって自動停止するので、原理的に炉心溶融が起こりえないことだ。

このため多重の安全装置が必要なく、冷却材(ナトリウム)の自然循環で運転が停止する。燃料を交換しないで(運転員なしで)30年運転でき、電源がなくなった場合も自動的に止まるので安全性が高い。日米で特許を取ったが、既存の大型軽水炉でもうかる原子力業界に採用されなかった。

挫折した小型原子炉

53d3b1cd本書は原子力技術に50年の人生を賭けた著者の自伝なので、原子力に夢を託していると思われるだろうが、意外に醒めている。著者は中部電力の浜岡原発1号機を設計したあと、2号機では改良を提案したが、会社に却下されたという。結果的には、どちらも新規制基準を満たさないため、廃炉が決まった。

核燃料サイクルについても、理論的には有望だが、今の六ヶ所村の「ピューレックス法」と呼ばれる再処理工場は複雑で危険だという。著者はその着工前に「乾式再処理法」という簡素で安全な技術を提案したが、すでにメーカーに発注されていたため、従来の方法で工場ができた。

高速増殖炉も原理的には有望だが、「もんじゅ」のような複雑な配管で冷却する方式は行き詰まることがわかっていたという。4S炉は図のように制御棒や複雑な配管のない構造なので、安全性が高いが、それを開発してきた東芝の経営危機で、実用化の見通しは立たない。

しかし化石燃料が(少なくとも先進国では)使えなくなるとすると、残る選択肢は原子力か再生可能エネルギーしかない。再エネは蓄電技術が飛躍的に進歩しない限り、コストでは原子力と競争できない。原子力の難点は集中型の巨大技術だということだが、これはSMR(小型モジュラー炉)などの次世代炉が実用化すれば解決できる。その元祖が4Sだったのだ。

再エネのエネルギー密度は低く、適地の少なくなった日本では物理的に限界があるが、原子力はそのポテンシャルの1/1万も使っていない。原材料も海水ウランなら無尽蔵だ。ロシアは原子力開発に巨額の国費を投入しており、中国も次世代炉を開発している。原子力が新たに注目を浴びる日は、意外に早く来るかもしれない。