きのうのアゴラこども版はあまりこども向けではないので、補足しておこう。ガラパゴス左翼は今ごろ「日米同盟は対米従属だ」などと騒いでいるが、そんなことは誰でも知っている。それがこの60年間、保守勢力の懸念していたことだ。自民党の結成された最大の目的は、憲法を改正して安保条約を「相互防衛条約」にし、米軍を撤退させることだった。

『歴史としての日米安保条約』によると、1955年8月に鳩山一郎内閣の重光葵外相は訪米し、ダレス国務長官に「日米相互防衛条約」の日本案を見せた。その第4条まではNATOなどと同じ共同防衛の規定だが、第5条には「日本国内に配備されたアメリカ合衆国の軍隊は、この条約の効力発生とともに、撤退を開始するものとする」と書かれていた。

これに対してダレスは「現憲法下において相互防衛条約が可能であるか。日本は米国を守ることができるのか。たとえばグワムが攻撃された場合はどうか」と質問した。重光は「自衛である限り協議が出来るとの我々の解釈である」と答えたが、ダレスは「それは全く新しい話である。日本が協議に依って海外派兵できると云う事は知らなかった」と驚いてみせた。

海外派兵という難問

相互防衛条約案の第4条には、こう書かれていた。
各締約国は、西太平洋区域においていずれか一方の締約国の領域又はその施政権下にある地域に対して行われる武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する
これは1960年に改正された日米安保条約とよく似ている。その第5条では「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が…」となっている。相互防衛条約では対象が「西太平洋」となっているが、これは台湾と朝鮮を除き、沖縄と小笠原を含むと日本側は説明した。

日米講和条約では沖縄はアメリカの信託統治下にあったので、その防衛は海外派兵にあたる。それが自衛の範囲を超えるかどうかは、当時の政府内でも意見のわかれたところだった。重光はダレスに対して、日米行政協定(現在の地位協定)が不平等条約になり、「この点が米国への隷属関係であるといって左翼勢力の反米思想鼓吹の根源をなしている」と主張した。

「われわれは国民に対し日本がふたたび平等になったといいたいのである」と強調する重光に対して、ダレスは「日本が米国の防衛に当たりうる時期が来るまでは真の平等ということはないであろう」と反論し、憲法を改正しない限り条約改正は不可能だとの考えを示した。

このアメリカの冷淡な態度は、鳩山内閣の政治的基盤が弱体だったことも影響したようだ。結局、重光=ダレス会談はものわかれに終わり、1956年12月に鳩山内閣は総辞職した。それを引き継いだ岸信介は相互防衛条約を断念し、日米相互協力及び安全保障条約を結んだ。それは当時、安保反対の大運動を呼び起こしたが、むしろ改正としては中途半端だった。

ただ当時のアメリカ側の外交文書をみると、国務省は条約改正そのものには否定的ではなく、日本が憲法を改正しないかぎり反米勢力は押さえられず、条文を多少いじっても実態は変わらないと割り切っていた。安保改正は、岸の面子を立てて自民党政権を支える国内対策の意味が大きかったのだ。