戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか (PHP新書)
三浦瑠麗氏のコラムが左翼から批判され、右翼には評判がいいらしい。その論旨は「日本型リベラルの核心には憲法9条がある」という言葉に尽きるが、これは事実誤認である。拙著でも書いたように、終戦直後から60年代にかけて日本の左翼のコアは「全面講和」に代表される非同盟だった。その代表と目される丸山眞男は、1964年に次のように書いた。
第九条の理想としての平和主義を堅持するという主張によって、なにが否定されているのか。「戦争主義」が否定されているのか。そうだとすれば、およそ戦争主義、あるいは軍国主義を理想として憲法に掲げる国家というのは、現実にもなかったし、今後は一層考えられません。(「憲法第九条をめぐる若干の考察」)
ここで彼は第9条そのものは否定していないが、その理想とする平和主義(pacifism)が政治学的には無意味な概念だと指摘している。彼は日米同盟には強く反対したが、「第9条を守れ」と主張したことはない。彼を中心とする戦後リベラルが憲法問題研究会に結集して改正を阻止しようとしたのは、第9条ではなく第1条(国民主権)だった。晩年の丸山はこう明言している。
僕はこういう条件[国連軍]がかなえば、憲法は第二の条件であって、憲法改正の議論も自由にしていいです。九条も含めていいですよ。[…]あれは「国家の自衛権」がないという意味です。僕もそれは書いたけど、いつ「国民の自衛権」を否定しましたか。国民が自己防衛するのは憲法は許していますよ。(『丸山眞男話文集』続3、pp.270~71)
今のガラパゴス憲法学者とは違い、丸山にとって憲法は理想ではなく、それ自体には価値のない政治的手段に過ぎなかった。では彼の究極の目的は何だったのだろうか。

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