立憲民主党が結成されて、また「立憲主義」についての議論が盛んになっている。私にからんでくるツイートをみると、かつての「護憲」の代わりに立憲主義が左翼のスローガンになっているようだ。この立憲民主党の御用達マンガが一番わかりやすい。

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ここでは立憲主義とは単に「憲法に従う」という意味だということになっている。だから「戦力を保持しない」という憲法に従わない安倍内閣は「非立憲」らしい。ここでは立憲主義は一方的に国家権力を拘束するものだから、朝日新聞も「首相が改憲を訴えるのは立憲主義を傷つける」というのだが、ではその憲法を制定するのは誰だろうか?

国民主権のパラドックス

それは主権者たる国民の選んだ国会だ、というのが教科書的な答だが、国民は官僚機構に統治される対象なので、統治する側とされる側の関係は

国民→国会→官僚機構→国民

という循環論法になってしまう。つまり民主制のもとでは、統治する国民が統治される対象になるというパラドックスが起こるのだ。もともと主権は君主の権限だったが、それがデモクラシーに移行する中で、国民を代表する議会=立法府が行政を支配する「国民主権」というフィクションができたので、そこには無理があった。

それがフィクションだとわかっているうちはまだいいが、日本のように民主制も憲法も輸入した国では、両者の関係がわからないまま道徳的に美化する教育が行われる。実際には膨大な行政事務を国会議員が立法でチェックすることは不可能なので、実質的には官僚機構が国家を支配する行政国家になる。

「行政国家」を誰がコントロールするのか

これは先進国ではどこでも起こっている現象で、立憲主義の強いアメリカではトランプ大統領のような混乱が起こる。合衆国憲法には国民主権の概念がないので、大統領を中心とする行政の暴走を止めるしくみは議会しかないが、両者が対立すると最終的には訴訟で司法が判断する。これは高コストで、英米のような司法インフラがないと機能しない。

議院内閣制の国では、議会の多数党が内閣をつくるので立法と行政に対立はなく、イギリスでは内閣の提出した法案が議会で修正されることも珍しくない。これに対して日本では、閣議決定の前に与党の意思統一をして国会で造反が出ないように、全員一致するまで事前審査を徹底的にやり、議決では党議拘束をかける。

ここまでの官僚機構の根回しで、ほとんどの法案は中身が決まり、国会で修正されることはない。全会一致は国会でも同じで、法案提出前の国対委員長会談で全会派が一致できない法案は先送りされることが多い。このように国会が空洞化し、立法も行政も司法も官僚機構が独占する状態で、「立憲主義」を叫んでも意味はない。

行政国家をどうコントロールするかはむずかしい問題で、それを議院内閣制の原則に一歩近づけたのが安倍政権の内閣人事局だったが、この程度でも「安倍一強」などと批判されて文科省のような「反乱」が起こる。行政をチェックするのはマスコミの役割でもあるが、彼らも自分の役割を理解していない。立憲主義をめぐる論理のお遊びは、もうやめてほしい。