江戸の読書会 (平凡社選書)
大学で教師も学生もうんざりするのは、大教室でやる「講義」だ。教師は義務としていやいや教えているし、学生は単位をとるためにいやいや出席している。こんな中身のない大学教育を丸ごと「無償化」するなんて、悪い冗談だろう。

このように非生産的なのは、日本の大学が教育の場ではなく、立身出世の手段だからである。これは日本だけではなく、中国では儒学は科挙で立身出世する手段だったので、学校はすべて科挙の予備校だった。解釈は宋代の朱子学で固定され、あとはひたすら四書五経とその既存の解釈を丸暗記する能力が求められたので、儒学は「御用学問」になって硬直化し、学問としては衰退した。

ところが日本の武士は科挙を輸入しなかったので、儒学は立身出世とは無関係の「遊び」になった。おかげで儒学は自由な発展を遂げ、最後は水戸学になって徳川幕府を倒す尊王攘夷思想を生んだ。その母体となった松下村塾などの私塾の教育は一方的な講義ではなく、テキストを各人が読んで順番に説明する「会読」という読書会だった。

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