8月15日に起こった革命で日本国民が主権者になったという「8月革命」を丸山眞男の説という人が多いが、彼の著作にも座談にも(生涯を通じて)この言葉は一度も出てこない。その典拠とされるのは「超国家主義の論理と心理」(『世界』1946年4月)の結びの言葉だが、ここでも8月革命という言葉は使っていない。
日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。
宮沢俊義が「八月革命と国民主権主義」(『世界文化』1946年5月)でこの言葉を使ったのは丸山の後で、これはマッカーサー草案についてのコメントだった。宮沢は東京帝大の憲法研究調査委員会の委員長で、その書記だった丸山がこの言葉を使い、それを彼の了承を得て論文に使ったと述べたが、議事録には残っていない。

「8月革命」は、自分の書いた明治憲法修正案(いわゆる松本案)をGHQに否定された宮沢が、それを正当化する欺瞞だったが、彼に丸山がヒントを与えたことは考えられる。国民が「自由なる主体」として新たな憲法を制定したというのはフィクションだが、そう考えない限り天皇主権の国家が主権者を否定することはできないからだ。ここでは第9条は付随的な問題だったが、次第に丸山の問題意識は見失われ、憲法はもっぱら「平和憲法」として理解されるようになった。

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