阪大の金水文学部長のインタビューが話題を呼んでいる。彼は今年3月の卒業式で、経済界などで強まっている「税金を投入する国立大学では理系に重点を置き、文系は私学に任せるべきだ」という意見に対して「文学部で学ぶ哲学・文学などの学問の意義は、どのように答えたらよいのでしょうか」と問いかけた。

その答は「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったとき」だというが、これは税金を投入する理由になっていない。「人生の意味は何か」と考えることはそれ自体が目的だから、他の何かに役立つわけがなく、役に立つ必要もない。それは一生かけて本を読んで自分で考えればよく、国立大学という「入れ物」に18歳の若者を集めて訓練する意味はない。

単位や成績評価という制度も無意味だ。学生は先生の話を聞くためではなく、単位を取るために授業に出る。先生は教育する気はなく、研究を維持するための義務として授業をする。就職先の企業も文系の学問なんか専門知識だとは思っていないので、大学教育は誰も求めていないサービスを4年間やっているのだ。

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