失敗の法則 日本人はなぜ同じ間違いを繰り返すのか
あなたの友達が霞ヶ関にいても、彼が「**法では」とか「**の政策は」という話をしているうちは実態はわからない。彼と「**さんは自民党の**と話ができる本流だが、**さんは理屈だけで根回しのできない傍流だ」といった固有名詞だらけの話ができるようになって、初めて本当の話ができる。もちろん互いに**という名前を知らないと話が通じないので、こういう話はそれを知らない人には暗号でしかない。

私も固有名詞はほとんどわからないが、わかる範囲では霞ヶ関では「ヒラメ」が増殖しているようだ。これは大企業にもたくさんいる「上ばかり見ている」サラリーマンのことだが、こういう現象は本書の第1法則「現場が強いリーダーを許さない」の系(コロラリー)である。日本の組織は強いリーダーを想定していないので、菅官房長官が内閣人事局で人事権を振り回すと、各省の幹部がヒラメばかりになり、現場に不満のマグマが貯まる。

霞ヶ関を総合商社にたとえると、こんな感じだ:人事は鉄鋼や食糧などのグループごとに行われていたが、社長が「戦略的人事局」をつくり、部長級以上の人事はすべて人事担当専務が決定することになった。就業規則では社長に究極の人事権があるので、誰も反対できなかったが、そのうち「**さんは同期のトップだったが、専務にきらわれてアフリカ駐在に飛ばされた」といった話が、アフター5の話題で盛り上がるようになった。

意思決定と人事の補完性

このようにトップダウンの意思決定と政治任用という組み合わせか、ボトムアップの意思決定と内部昇進という組み合わせは補完性があり、両方を混ぜるとうまく行かない。日本の法律も原則は議院内閣制でトップダウンなので、官房長官が人事を決めると官僚は従わざるをえないが、不満が鬱積する。

これは企業も同じで、英米型企業では意思決定はトップダウンだが、人事は現場のボスが決めて転勤はない。日本では意思決定はボトムアップだが、人事は人事部が調整し、転勤の辞令は絶対だ。

ただし日本でも、実質的な人事はグループごとに行われる。特に商社は、鉄鋼なら鉄鋼で最後まで世界を異動するのが特徴だ。これに対して銀行は、審査から営業まで幅広く異動する。役所は銀行に近いが、一つの省庁の中で動くことは絶対条件なので、商社の拡大版ともいえる。

こういう慣行は不文律なので、菅官房長官のようなアウトサイダーにはわからない。各省庁から上がってくる名簿の中で、彼が知っている固有名詞は1割に満たないと思われるが、その中から安倍政権に忠実な官僚を引き上げる。外部から見るとその差はわずかなものだが、省内では「異例の人事」といわれる。たとえば今年の文科省の人事は、共同通信によると
文部科学省は4日、藤原誠初等中等教育局長(59)を以前就いていた官房長に戻すなど、組織的天下り問題で処分を受けた複数の幹部を同格ポストに横滑りさせる人事を発表した。藤原氏は2015年8月から16年6月まで官房長を務めており、以前就いていたポストに戻す人事は極めて異例。天下り問題では減給処分とされた。
という。この場合は官邸に逆らった「前川派」を冷遇するということだろうが、常識的には官房長というのは人事を司る中枢で、「外された」人がなるポストではない。外部にはわからないが、文科省の中では「官邸が事務次官の頭越しに人事介入した」という反感が生まれる。

こういうバイアスはアメリカの政治任用に比べると微々たるものだが、役所以外に人生のない官僚にとっては一大事だから、彼らは内部文書をマスコミに流すといった形でいやがらせをする。文科省のような弱小官庁の場合は大した問題ではないが、防衛省の場合は深刻な影響が出る。稲田防衛相も、省内では「一人も味方がいなかった」という。

日本型と英米型は一長一短だが、日本型は「大きな意思決定」に向いていない。それを踏まえて官房長官が人事をやるならいいが、役所の経験がない彼には、こういう機微はわからないと思う。これから霞ヶ関の本流である東大法学部から、また反乱が起こるのではないか。