Basic Income: A Radical Proposal for a Free Society and a Sane Economy
アゴラで紹介したブレグマンのBIが話題になっているようだが、本質的に新しい話ではない。本書はこれを学問的に精密に論じたもので、ねらいはヨーロッパでも拡大する所得格差を是正し、技術革新で自由になる時間を合理的に使うことだ。

先週のJBpressでも紹介したようにBIの提案は昔からあり、1950年代にティンバーゲンなどが提案した。同じころスティグラーやフリードマンが負の所得税(NIT)を提案したが、70年たっても実現しない。それは従来の社会保障を根底からひっくり返すためだ。

実際にはBIはそれほど革命的ではなく、たとえば生活保護だけをBIに置き換えることも可能だ。最大の問題は財源をどうするかで、NITは所得税を想定しているが、これは不公平の原因だ。2008年のアメリカ大統領選挙でハッカビーが提案したのは、BIの財源を連邦消費税(VAT)に求める税制改革で、経済学的には合理的である。

資本を過剰に蓄積する資本主義

BIは経済学ではおなじみだが、著者は政治学者で、所得というより自由時間の問題と考えている。最初に掲げられている「カネをもつことは自由の手段だが、それを稼ぐのは奴隷になることだ」というルソーの言葉のように、所得を「自由」の尺度、労働を「不自由」の尺度と考えると、人生は自由の配分と考えることもできる。

市場経済では、労働時間と消費量はトレードオフの関係にあるので、ロビンソン・クルーソーは自分に必要な消費量まで生産し、あとは休息すればよい。ここでは生産は、消費の効用から労働の苦痛を引いた純効用(消費の効用-労働の不効用)を最大化する計画として決まる。

たとえば8時間働いて8時間休息するより、生活に必要なものが4時間でできるなら、12時間休息したほうが純効用は高まる。歴史上の多くの社会では、人々はこのように労働時間を配分してきた。石器時代の人々が苛酷な長時間労働をしたというのは神話で、人々の平均労働時間は3~4時間だったと推定される(サーリンズ『石器時代の経済学』)。

ところが資本主義社会で人々は、純効用が最大化される水準を超えて資本を蓄積するようになった。その結果、何億ドル資産があっても使い切れず、ビル・ゲイツは全財産の95%を財団に使うと表明しているが、それなら最初から5%働けばよかったのだ。

自由時間の再分配

資本蓄積が自明の行動ではないことは、歴史を考えればわかる。江戸時代の日本の年収は世界平均の数百ドルぐらいだったが、1800年ごろからイギリスの所得は爆発的に増えて数千ドルになり、日本との軍事力の格差が大きく開いた。それを見た幕府は対外戦争をあきらめ、資本主義を輸入した。

資本主義は人類の歴史の中でもここ200年ぐらいの特異なもので、人々が使い切れない富を蓄積したのは戦争に勝つ軍事力のためだった。マルクスもウェーバーも指摘したように、過剰な資本蓄積は不合理である。カネは「自由の手段」なのだから、多くの人に広く分配したほうが社会全体として幸福になるが、政府が裁量的にばらまく社会主義は滅んだ。

BIは社会保障、特に公的年金の代わりだから、老人に片寄った自由時間をすべての世代に広げ、労働という不自由を減らすものだ。つまりBIは所得を再分配するだけではなく、老人が独占している自由時間を再分配するのだ。平均労働時間が短縮されると失業率も下がるので、一種のワーク・シェアリングともいえる。

だからBIの財源としてはピケティのいうような資本課税が望ましいが、これはグローバルには資本逃避が起こるので、本書はVATのようなキャッシュフロー課税を提言している。この組み合わせは他にもありうるが、課税も給付も非裁量的な一括再分配に変えてゆがみをなくすことが21世紀の税制改革の目標である。