自由民権運動――〈デモクラシー〉の夢と挫折 (岩波新書)
安倍内閣の支持率が急落し、政権の先行きは不透明になってきたが、民進党の支持率も上がらない。本書はこういう政党政治の未成熟の起源を、自由民権運動の挫折に求める。

江戸時代を「封建制度」とか「身分社会」と呼ぶと、ピラミッド的な階層秩序だったような印象を受けるが、実際には下級武士は町人より貧しくて尊敬もされず、「幾千万の人類は各幾千万個の箱の中に閉ざされた」(福沢諭吉)状態だった。こうした村や藩などのさまざまなレベルの箱(中間集団)を著者は「袋」と総称する。

身分社会では、人々は「袋」の中で、支配者から与えられた「役」を親から受け継いで一生を終わる。出世のチャンスは軍役だが、戦争は250年以上なかった。貧困のどん底だった武士が「袋」を破ろうとしたのが戊辰戦争だったが、そこで戦果を上げた武士は、廃藩置県で失業してしまう。そういう政府に対する不平士族の反乱が自由民権運動だった。

幕藩体制の「古い袋」が破れ、民権運動で自由党という自発的結社ができ、国家が統一されて政党政治が導入される――ここまではヨーロッパの市民革命と似ていたが、デモクラシーの「新しい袋」は藩閥政府に敗れ、自由党は立憲政友会という「御用政党」になってしまう。そこには何が欠けていたのだろうか?

教会から生まれた「自発的結社」

日本には、ヨーロッパの教会のような非営利の結社がなかった。営利企業は昔からあり、非営利の国家権力はあったが、非営利の結社の伝統はなかった。自由党は募金に頼るしかなかったため、内戦が政府の勝利に終わると、すぐ財政的に行き詰まった。政府は徴税権という強制力(警察力)をもっていたが、民権運動にはプロの活動家を養う資金がなかったのだ。

このときはまだ内戦のリスクがあったので、伊藤博文は明治憲法をつくって、軍事・警察力を独占しようとした。このとき井上毅が民権運動のリーダーとして警戒したのは福沢諭吉だったが、実際の民権運動はそんな知識人の運動ではなく、全国にあふれた失業者(不平士族)の職を求める戦いだった。

この戦いは、天皇という「国体」をつくって権力を独占した政府の圧勝だった。伊藤や井上はヨーロッパに行って当時のドイツの制度を輸入したが、板垣はしょせん「万年野党」だった。彼らには国家権力という新しい「袋」をつくる知恵もカネもなかったのだ。

その後、伊藤は政党政治がないと軍部がコントロールできないと気づいて政友会をつくったが、日本にはイギリスのような政治結社は根づかなかった。丸山眞男はこれを戦後日本の最大の欠陥だと嘆いたが、ヨーロッパの結社は彼の理想化したような理念でできたわけではない。

結社の原型は教会である。それはキリスト教の精神的権威(救済の独占)でカネを集めるもので、その独占権をめぐる争いが宗教改革や宗教戦争だった。その延長として議会の中で階級的利害を代表する政党ができたが、日本には議会も政党も根づかない。もともと「袋」に分散して階級もない日本に、政治理念でまとまる政党が育つ基盤はないのだ。