ロイターによれば、日銀の原田泰審議委員は29日の講演で「ヒトラーが正しい財政・金融政策をした」と述べ、NYタイムズなどで世界にも配信された。講演記録は公表されていないので、詳細は不明だが、彼の発言はこのようなものだったという。
ケインズは財政・金融両面の政策が必要と言った。1930年代からそう述べていたが、景気刺激策が実際、取られたのは遅かった。ヒトラーが正しい財政・金融政策をやらなければ、一時的に政権を取ったかもしれないが、国民はヒトラーの言うことをそれ以上、聞かなかっただろう。彼が正しい財政・金融政策をしてしまったことによって、なおさら悲劇が起きた。ヒトラーより前の人が、正しい政策を取るべきだった。
これは「ヒトラーが初めてケインズ政策を採用してドイツ経済を救った」という通俗的な話だが、今では誤りだと判明している。


上の図のように、ドイツの失業者はヒトラーが政権についた1933年から激減したが、500万人以上も失業者が減ったのは、原田氏のいうような「ケインズ政策」のおかげではなく、毎年100万人徴兵したからだ。ドイツの若者は職を失う代わりに、戦場で命を失ったのだ。つまり原田氏が「正しい政策」として賞賛したのは戦時経済である

同時代のドイツ人の多くは、ヒトラーの政策を「正しい」と感じていた。20世紀のドイツでは戦争や革命が繰り返され、第1次大戦後はワイマール憲法で混乱が続いたので、それを暴力的に鎮圧したヒトラーが歓迎されたのだ。

シャハトの手腕と誤算

もう一つの要因が失業対策だ。これはケインズとは無関係で、中央銀行(帝国銀行)のシャハト総裁の手腕に負うところが大きい。彼が考案した「メフォ手形」は軍事費を調達する手形を国立銀行が割り引くもので、実質的な戦時国債の引き受けだった。

これは最終的には政府が償還する予定で、1937年には残高が200億マルクを超えたため、シャハトは発行を停止させたが、ゲーリングが彼を政権から追放して手形の発行を続けた。

これによって際限ない軍事費の膨張が始まり、これが第2次大戦を可能にした。価格統制が行なわれていたため、インフレは起こらなかったが、軍事費は1933年の8倍以上に膨張し、ほとんどのメフォ手形は償還されなかった。

明確な意思決定なしで戦争になだれこんだ日本と、ヒトラーが侵略の計画をもって戦争を起こしたドイツは大きく違うが、共通点もある。それは法の支配の失われた行政国家だったことだ。日本の場合は、治安維持法の規定が曖昧だったために、多くの「非国民」が根拠不明の容疑で投獄されたが、ドイツの場合は全権委任法でヒトラーが立法・行政・司法権力を独占し、議会のチェックなしで「指令」を乱発した。

当時のドイツは大恐慌とハイパーインフレで疲弊し、犯罪を恐れていたので、共産主義者やユダヤ人を撲滅して失業者を減らすナチは歓迎された。それがヒトラーの経済政策が初期に「成功」した原因だが、法をいったん踏み越えると、行政の裁量は際限なく拡大した。シャハトが帝国銀行総裁を解任されたとき、ヒトラーをコントロールできる者はいなかった。

「ドイツは正しかったが他の国は間違えた」という原田氏の話も誤りで、他の国も財政出動はしていたが、大恐慌のショックが大きすぎた。失業率が20%以上になるデフレギャップは、大規模な財政赤字に国民の同意が得られない民主国家では埋められない。ドイツや日本が全体主義から戦時経済に走ったのは、それなりの必然性があったのだ。