神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性 (Ν´υξ叢書)
世界的にヘーゲルの再評価が起こっている。近代哲学の元祖とされるカントはニュートン力学を正当化する「科学哲学」にすぎず、「物自体はなぜ存在するのか」といった本質的な問いを回避したが、ヘーゲルはすべての存在を世界内的なものと考えたからだ。

ガブリエルなどのポストモダン後の哲学も、「実在論」というよりヘーゲルの「客観的観念論」に近い。彼の敵は、ヘーゲルの存在論を捨象して言語論に「デフレ化」したハーバーマスである。ジジェクも「アリストテレスからカントに至る自然哲学」を乗り超えた哲学者として、ヘーゲルを高く評価する。

戦後のドイツではナチスのトラウマで、ヘーゲルやニーチェのような「全体主義」は否定されてきた。丸山眞男も「戦後のドイツ哲学は退屈だ。フランスの哲学は新ニーチェ派といわれるほどニーチェの影響が強いが、ドイツ人はニーチェを否定しなければならないから、ハーバーマスのように優等生的な話しかできない」と辛辣な指摘をしている。

ハイデガーもカール・シュミットも、いまだに肯定的な評価が許されないことは、ドイツ人の大きなハンディキャップだ。ガブリエルは戦後70年たってようやくドイツにも出てきた、ヘーゲルの伝統の後継者ともいえよう。

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