世界の見方の転換 1 ―― 天文学の復興と天地学の提唱
著者の畢生の3部作の完結編。『磁力と重力の発見』と『十六世紀文化革命』と合計すると3000ページを超える大作で、率直にいって長すぎるが、前2作に比べて考察は深まっている。

おもしろいのは、コペルニクスの地動説は古代的な「アリストテレス的世界」を完全に脱却していなかったという話だ。それは地球中心から太陽中心に座標系を変えただけで、説明力は天動説と大して変わらなかった。それは惑星の軌道は円であると想定していたので、実際の観測データを説明するには複雑な補正が必要だった。

真の意味で古代的な世界像に訣別したのは、ケプラーだったという。彼は惑星の軌道を楕円と考え、天上と地上を一元的に支配する太陽の引力を「動力因」と考える力学的世界像を構築したからだ。アリストテレス以来の自然哲学は、世界のあるべき姿から出発して事実を説明するので、惑星の軌道は(完全な図形である)円でないといけなかったが、ケプラーは初めて、それが「卵形ではないか」と考えたのだ。これが「世界の見方の転換」である。

規範的な世界観から力学的な世界観へ

これは科学論としても、重要な論点を含んでいる。「科学革命」は、かつては啓蒙思想がキリスト教を否定して生まれたとされたが、最近ではむしろキリスト教の延長上に生まれたとされる。本書もそういう見方をとるが、その意味は異なる。

トマス・アクィナスの普遍主義がオッカムの唯名論で世俗化されたという通説では、大学の中のアカデミズムが主役だが、本書の主役は航海術や占星術に使う天体の運行を正確に予想する職人だ。世の中のルールには例外があるが、天体の運行には例外がない。しかしそのルールを天動説でもれなく尽くすと、恐ろしく複雑で実用にならない。

そこで実用的には誤差を丸めて使うが、天動説は丸めにくく、地動説は丸めやすいため、次第に地動説が主流になった。だが地動説も、円軌道で公転する惑星がそれぞれ小さな円軌道を回るという奇妙な仮説が必要で、「オッカムの剃刀」で仮説の数を基準にすると、地動説が有利ともいえなかった。

そこでケプラーが発想を転換して、地動説を前提として仮説の数を減らすにはどうすべきかと考えた結果、出てきたのが「惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道上を公転する」というケプラーの第1法則だった。ここでは円軌道という先験的な自然哲学の代わりに、検証可能な楕円軌道という仮説が前提とされた。

もう一つの転換は、天上と地上に同じ法則が適用されるという一元的世界観だった。ケプラーの法則は楕円という「不完全」な図形を使うが、力学的には単純な運動方程式として書ける。のちにニュートンが完璧な形で整理したが、基本的にはケプラーが「世界の見方の転換」を実現した、というのが著者の考えだ。

つまりアリストテレス的な「あるべき規範」から事実を導くのではなく、ケプラーは「あるがままの事実」を簡単に記述する力学的な法則を考えたのだという。これは従来の啓蒙的な科学観を大きく超えるものではないが、その区切りをケプラーに見出し、それを1次史料で立証したのが(完全に説得的とはいえないが)本書のポイントだろう。

これは本書のあとがきでもわかる。著者は原発を激しく批判するが、原発事故が「人類最大の悲劇」である理由は何も書いてない。福島事故で放射能による健康被害は出ていないので、これは原発ゼロという「あるべき姿」を基準にした予断である。アリストテレスのような「規範的世界観」の呪縛は、かくも強いのだ。