日本人の労働生産性が低いとか、一人当りGDPが世界22位になったとか言われると、日本人には納得できないのではなかろうか。近所のコンビニでは店員が24時間働き、超効率的に棚を管理している。それは一部の都市だけではない。日本のGDPを平地の面積で割ると、図のように世界一なのだ(香港やシンガポールなどの都市国家を除く)。

gdp
可住地面積あたり名目GDP(万ドル/km2

これは歴史的にも重要で、労働集約的な農業で土地を節約する勤勉革命が、江戸時代に生産性の高まった原因だった。明治以降の工業化でも、日本は労働集約的な工業化を選んだ。繊維産業などでは日本の賃金が圧倒的に安かったので輸出もできたが、資本蓄積が進まなかったので1920年代に行き詰まった。そういう「過剰人口」を消化するために朝鮮や満州に植民したが、投資を回収しないまま戦争で破綻した。
勤勉革命が「日本的企業」を生んだ

戦後も「日本は資源がないのだから働くしかない」というのが日本人の強迫観念だったが、資本集約化が進んだ。これは典型的な資本主義のように株式市場によるものではなく、低金利の預金を集めた銀行が戦略産業に投資する「開発主義」だった。

この段階では、通産省の産業政策や興銀の産業金融が機能した。経済学者は政府の役割を否定するが、それは21世紀には正しくても過去にはそうではなかった。西欧以外の文明圏で「離陸」に成功したケースは、例外なく政府のビッグプッシュという「見える手」によるもので、社会主義国の初期の成功もこれで説明できる。

ただビッグプッシュのあとの高度成長をもたらしたのは、市場経済による生産性の向上と旺盛な投資意欲だった。その主要な源泉は、欧米の先進国の技術をまねる一方で低賃金と為替レートの優位性で輸出を拡大することだったが、労働集約的な技術による成長の余地は80年代までにほぼなくなった。

日本の製造業は今でも効率的で、資本装備率(資本/労働)も世界最高水準だが、サービス業は勤勉革命のエートスを受け継いで資本装備率が低い。「日本人の国民性」と思われている特徴の多くも、江戸時代以降の勤勉革命でつくられたものが多いが、それを変えることは容易ではない。日本人がそれを意識していないからだ。