ジョージ・F・ケナン回顧録II (中公文庫)
米空母カール・ビンソンが朝鮮近海に出動して緊張が高まっているが、「戦争法案」に反対した野党やマスコミは妙に静かだ。世界に平和主義と呼ばれる思想はあるが、「憲法第9条で日本を守る」という一国平和主義は特殊日本的な病気である。それが生まれた背景には、歴史的な経緯がある。

分かれ目は、1951年の吉田=ダレス会談だった。一般には、朝鮮戦争に直面して日本に再軍備を迫るダレスの要求を吉田が拒否し、アメリカはやむなく日米地位協定(および安保条約)で米軍を駐留させたことになっているが、これは不自然である。まだ占領下だったのだから、日本の実質的な「主権者」だったアメリカが日本に再軍備を強制することはむずかしくなかったはずだ。

ジョージ・ケナンは本書で「1950年春には、講和条約締結後もアメリカ軍を無期限に日本に駐留させることは決定されていた」という。これは6月に始まった朝鮮戦争の前であり、最初から米軍が駐留することは前提で、ダレスは日本が再軍備して日米同盟に参加することを求めた。しかし朝鮮戦争に巻き込まれることを恐れた吉田は、それに反対した。
憲法第9条は「貞操帯」

つまり米軍の駐留か日本の再軍備かという選択ではなく、米軍および再軍備か米軍だけかの選択だったわけだ。当時の判断としては、これはおかしくなかった。米軍の圧倒的な軍事力に比べれば「保安隊」の兵力はわずかなもので、憲法第9条は日本を無力化して、戦前のような脅威になることを防ぐ意味もあった。しかしその後の(ケナンの理論にもとづく)冷戦で、状況は大きく変わった。

1950年代まではソ連の脅威は大したことがなかったが、核兵器を開発してからは対等の「超大国」になり、その脅威を背景にして世界各地で勢力を拡大した。1963年のキューバ危機は史上最大のチキン・ゲームだったが、アメリカが「タカ」になり、ソ連が「ハト」になって危機を収拾した。

ベトナム戦争は米ソの「代理戦争」だったが、長期化したためアメリカは同盟国に支援を求めた。このとき佐藤栄作首相は、ニクソン大統領と取引して沖縄を返還させ、密約で米軍を資金的に支援したが、「憲法の制約」を理由に、人的な支援はしなかった。

沖縄が返還された1972年に、集団的自衛権の行使を違法とする法制局見解が出たことは偶然ではない。これは日本は沖縄の基地は支援するがベトナム爆撃はしないという意思表明だった。日米同盟は「結婚したがセックスしない夫婦」のような関係で、憲法第9条は妻が夫を拒絶する「貞操帯」のようなものだった。

こういう経緯は、戦後日本の「裏の国体」として隠されてきた。自民党さえそれを知らないまま憲法論争を繰り返し、野党やマスコミに至っては「表の国体」としての憲法第9条で平和が守られると信じ、「護憲」が唯一の旗印になってしまった。それがアメリカにただ乗りする貞操帯だとは、知るよしもない。