東芝の経営危機は核拡散の問題とつながっている可能性がある。これに対して「原子炉級プルトニウムで核兵器はできない」という意見があるが、核弾頭が発熱で崩壊するとしても、少なくとも3日は使えるようだ。それならこの映画のようにプルトニウムを盗んで、自分で組み立てて起爆する自爆核兵器として使うことはできる。

技術進歩は「戦力は経済力に比例する」という総力戦の常識を変えた。核兵器はローコストなので、北朝鮮のような最貧国でも保有できる。「イスラム国」のようなテロリストが保有する時代も遠くないだろう。このようなリスクが冷戦時代より大きくなったのは、彼らが従来の核保有国のように合理的に思考するとは限らないからだ。
冷戦後の「新しい戦争」

20世紀の戦争は、3段階にわけることができる。

 1.第1次大戦以降の総力戦
 2.第2次大戦後の核兵器の均衡による冷戦
 3.90年代以降の非対称戦争

これは軍事技術の進歩によるものだ。19世紀までの重火器による戦争では歩兵が重要だったが、20世紀に入ると戦車と戦艦が重要になった。第1次大戦後の「軍縮条約」はもっぱら海軍力の均衡をはかるものだったが、これは時代遅れだった。資本集約的な軍事技術には経済的な資源が必要なので、戦総力戦の勝敗を決めるのは兵力ではなく、経済力になったのだ。

こうした変化を理解していたのは、永田鉄山や石原莞爾などのエリートだけで、彼らは総力戦体制を築くために国家社会主義を建設しようとした。特に1930年代後半からは航空機と空母が主力になったが、軍の首脳は歩兵中心主義で、航空機は陸海軍がバラバラに製造した。チャーチルもいったように、「軍人は一つ前の戦争を戦う」のである。

1950年代に吉田茂が再軍備を拒否してアメリカの「核の傘」に入った判断も冷戦時代には正しかったが、そういう時代は70年代から変わり始めた。アメリカは経済大国になった日本にアジアの軍事負担を求め、沖縄を返還する代償に日本の軍備増強を求めたが、佐藤内閣は「集団的自衛権」の行使を禁じる閣議決定を行って、それに歯止めをかけた。

こういう日本のただ乗りに対して、アメリカが不満をぶつけたのが、80年代の「貿易摩擦」だった。当時それを取材した私の印象では、見当違いの要求ばかりで何を求めているのか、さっぱりわからなかった。いま思えば、日本を「経済的な敵国」とみなす宣言だったのかもしれないが、それは1989年から始まった冷戦の終わりではっきりした。

90年代以降の戦争は、かつてのような米ソの力の均衡から派生した戦争ではなく、イラクやシリアなどの「世界内戦」だった。これをイラク戦争のような「総力戦」の発想で片づけようとしたアメリカは、かえって火に油を注ぎ、シリア難民はヨーロッパに押し寄せて大混乱を引き起こした。

そして次に来るのは、朝鮮半島である。北朝鮮がソウルを攻撃するのは時間の問題だが、韓国の政権は空白が続いている。新政権は「親北」になると予想されるが、アメリカとの連携は困難になるので、北が攻撃するリスクは高まる。核戦争が起こるリスクは大きい。日本の国会は、幼稚園の話をしている場合ではない。