共和制

今週のVlogで使った表の出典は、丸山眞男の「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」である。彼は広島の宇品で終戦を迎えたが、1945年8月16日に上官(谷口参謀)に呼び出され、戦後の日本の行く末について1週間の講義を命じられた。
T参謀の発するさまざまの質問のうち、つきつめたような表情で私に語ったのは、「連合国は民主主義と言っているが、そうなると陛下はどうなるのか? 君主制は廃止されるのではないか?」という問いであった。私はすぐさまつぎのような意味の返答をした。

「御心配には及ばないと思います。民主主義がわが国体と相容れないというような考え方は、それこそ昭和の初めごろから軍部や右翼勢力を中心にまかれて来たプロパガンダです。国法学の定義としても、君主制と対立するのは共和制であって、民主制ではありません。民主制に対立する概念は独裁制です。イギリスは君主制ですが、極めて民主的な国家であり、逆にドイツは第一次大戦以後、共和国になりましたが、その中からヒットラー独裁が生まれました。」
この分類でいうと、丸山は明治憲法を立憲君主制、すなわち民主制の一種と理解していたことになる。天皇が絶対君主と区別されるのは、その権限が憲法に制約されている点である。憲法第4条には「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と書かれていた。戦争も、憲法にもとづいて天皇の書いた「宣戦の詔書」に帝国議会が「協賛」して始まったのだ。

丸山は昭和天皇を敬愛し、その意に反して戦争が起こされたことを知っていた数少ない日本人だった。しかしリベラルな天皇と民主的な憲法が、どうして戦争を止めることができなかったのか――それを彼は「半年も思い悩んだ揚句」、上とは違う答に到達し、それを有名な「超国家主義の論理と心理」に書いた。

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