戦国と宗教 (岩波新書)
日本人の宗教についての理解は、いまだにキリスト教をモデルにしている。浄土真宗や日蓮宗などの「鎌倉仏教」は宗教改革に似ており、それは一向一揆という「市民革命」を生んだが、織田信長につぶされた――というのが従来の理解だが、これは宣教師の報告にもとづく「オリエンタリズム」である。

当時の仏教の主流は、まだ天台宗や真言宗だった。親鸞の「信仰のみによって救われる」という教義がルターに似ていると宣教師は報告したが、実際の真宗は各地の神仏と混合した雑多な信仰だった。それが広まったのは『歎異抄』(16世紀まで知られていなかった)のような高度な教義のおかげではなく、ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えていれば極楽にいけるという単純な信仰が民衆に受け入れられたからだ。

「一向一揆」という言葉は中世の史料にはなく、本願寺を設立した蓮如も「一向宗」という言葉は使わなかった。本願寺は武士と戦う「反権力」の教団ではなく、いろいろな戦国大名と連携して戦う軍団だった。信長と一向宗の「石山合戦」も後世につくられた物語で、石山という地名は同時代の史料にはない。そもそも宗教と世俗権力の対立という図式がオリエンタリズムであり、信仰の中心は戦国大名だった。

続きは3月27日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。