朝鮮半島の緊張が高まる中で、国会はワイドショー化している。これは当然で、日本の国会にはもともと国家戦略を決定する機能がない。自民党は1955年に結党したときから、保守勢力が「反共」で野合した理念なき日本型ポピュリズムの党だった。党是としては憲法改正を掲げたが、その実態はアメリカの核の傘にただ乗りして地元利益で集票するマシンだった。

アメリカは軍事負担の肩代わりを求めたが、自民党は「国内的な配慮」を理由にして拒否してきた。1972年の沖縄返還のとき、佐藤内閣は「沖縄の核は黙認するが自衛隊は海外派兵しない」という取引をして「集団的自衛権」の行使を違憲とする法制局見解を出した。集団的自衛権は、東アジアの紛争から逃げるための「貞操帯」のようなものだった。

安保法制をめぐる「与野党対決」も、アメリカの圧力をかわすための八百長だった。そのあと争点を失った野党は、大阪の幼稚園をめぐる騒動に国会審議を費やしているが、こんな茶番はいつまでも続けられない。東アジアの地政学的なバランスは大きく変わったからだ。
野党を理由に軍事負担を拒否した吉田茂

終戦直後に日本を統治できる政治家は、戦時体制に協力した保守派しかいなかった。GHQは社会党を支援したが、彼らの基盤とする労働者は少数で、農民は農地改革で自作農になって保守化した。占領統治の終わった1952年に保守勢力は自由党と民主党に集約されたが、彼らに共通する政策は「憲法改正」しかなかった。

しかし1951年に吉田茂は、すでに「ルビコン川」を渡っていた。アメリカのダレス国務長官が2度にわたって要求した再軍備を、吉田は「アジア諸国や国内勢力への配慮」を理由に拒否した。それは経済の疲弊していた当時としてはやむをえないともいえるが、結果的には「占領統治を離脱してから日本国民が決めればよい」という彼の判断は致命的な誤りだった。自民党にはその後、1度も改正のチャンスがなかった。

鳩山一郎も岸信介も憲法を改正しようとしたが、2/3にわずかに足りなかった。多数を取るために小選挙区制にしようという案も、党内の「ハト派」の反対で実現しなかった。岸が60年安保で辞任したあとは、政治的リスクを負う首相はいなくなった。

1960年代後半にアメリカはベトナム戦争の軍事負担を日本に求めたが、佐藤栄作は拒否した。日本を懐柔するためにアメリカは沖縄を返還したが、1972年の返還のとき佐藤内閣は「沖縄の核は黙認するが自衛隊は海外派兵しない」という取引をして「集団的自衛権」の行使を違憲とする法制局見解を出した。

集団的自衛権は、東アジアの紛争から逃げるための「貞操帯」になって日本の外交を拘束し、その後も与野党の最大の争点になった。特に1991年の湾岸戦争では、日本の拠出した135億ドルが「人的貢献」ができなかっため無視され、自民党や外務省に大きなショックを与えた。92年に成立したPKO法も運用が拘束され、安全な地域しか行けないので役に立たなかった。

日米同盟への「ただ乗り」というギャンブル

「吉田ドクトリン」の評価は、今も定まっていない。それを軽武装路線と評価し、アメリカの軍事力にただ乗りしたことで戦後復興が早まり、高度成長が可能になったという高坂正堯の意見が通説だが、そういう実証的な証拠はない。少なくとも経済的には、アメリカの援助がなくても高度成長は実現しただろう。

しかし軍事的には意味があった。1950年ごろの東アジアの軍事バランスの中で米軍が撤退したら、日本が独力で自衛することはきわめて困難だった。吉田は第2次大戦の経験から、ロシアや中国の経済力でアメリカと戦争することはありえないと考えていた。この情勢判断は60年代以降、中ソが核武装するようになって大きく変わった。

1960年ごろのソ連のGDPはアメリカの3割、中国は2割ぐらいだったので、従来の「総力戦」の発想では、両方の合計の2倍の戦力をもつアメリカに戦争を挑むことは考えられない。だが核兵器は通常兵器よりはるかに安上がりなので、1970年ごろにはアメリカと対等になった。米軍は中ソを全滅させる数倍の核兵器をもっていたが、そんな違いは意味がない。

核武装もしないで日米同盟に「ただ乗り」する吉田の戦略は危険なギャンブルだったが、結果的には日本はギャンブルに勝った。ところが野党や進歩的文化人は、宝くじに当たったことを自分の手柄だと思い込み、ガラパゴス立憲主義が続いてきた。

安保法制をめぐる「与野党対決」も、安倍政権がアメリカの圧力をかわすための八百長だったが、東アジアの地政学的なバランスは冷戦期から大きく変わった。ギャンブルにこれからも勝つ保証はない。北朝鮮のような最貧国まで核武装する現代は、総力戦の次の非対称戦争の時代に入っているのだ。

トランプ政権は今のところ、極東戦略を大きく変える兆候はないが、中国や北朝鮮は何をするかわからない。米軍が撤退すると、ロシアが南進してくるだろう。こういう情勢の変化は、自民党の中でさえ理解されていない。彼らも核の傘の下のポピュリズムの成功体験に慣れてしまったからだ。それが吉田ドクトリンの最大の罪かもしれない。