私はFacebookの始まったころからのユーザーだが、初期はほとんど英語で、海外との連絡に使っていた。"Atheist"(無神論者)というグループに入ったら、たくさん質問が来て驚いた。よくきかれたのは「日本人は宗教なしで、どうやって高いモラルを保っているのか?」という話だが、それは日本人にもよくわからない。

たぶん明治の日本人もそうだったのだろう。JBpressにも書いたように、井上毅が教育勅語を書いたのも、彼の訳した「宗教」という概念を日本に定着させるためだった。ヨーロッパで文明国をみた井上は、日本に欠けているのは「国教」だと考え、「世に宗教なきときは政府たるもの幾分か此の宗教の力をかりて以て治安の器具となさざる事を得ず」と書いた。

彼は「国民多数の信仰ある宗旨を用ふべし」と書いて仏教を国教にしようとしたが、それは「葬式仏教」になっていて国民を統合することはできなかったので、教育勅語を起草した。長州閥は儒教を国教にしようとしたが、井上は元田永孚などの儒学者の抵抗を押し切って中立な勅語にした。

おかげでたった315字の無内容な訓話になり、勅語は国民を精神的に統合できなかったが、全国民が暗唱する同調圧力にはなった。井上はいろいろな宗旨から独立の宗なき教として勅語を書いたのだが、それは実定法と道徳を乖離させ、法を超えた「詔勅」で行政の裁量が拡大する結果をまねいた。

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