パウロ 十字架の使徒 (岩波新書)
子供のころ教会学校に行かされ、毎週パウロの手紙について説教されたが、まったく納得できなかった。2000年前に死んだイエスが、どうやって今の私の「罪を贖う」のか。そもそも彼は処刑されたあと復活したのだから、罪をかぶっていないのではないか…などと論理的に追及すると、パウロの手紙は矛盾だらけだ。

本書もパウロの十字架の神学には、ユダヤ教に固有の「贖罪」と普遍主義的な「ゆるし」が混在していると指摘する。古代ローマ帝国でキリスト教が大流行した原因は、2世紀に疫病が流行したとき、特定の民族に依存しない「救済」を提供したからだと推定されている。それは初期には文字どおり医療による救護で、神を信じる人は誰でも救済した。

パウロはギリシャ語を使うローマ市民だったが、その教祖であるイエスが政治犯としてローマ帝国に処刑されたのは都合が悪かった。そこで彼はイエスが「すべての人類の罪を着せられて十字架で死んだが復活した」という奇妙な神学を布教し、刑罰の道具である十字架を救済のアイコンにした。この巧妙なマーケティングは大成功したが、その矛盾はキリスト教の拡大とともに深刻になった。
植民地支配がキリスト教を拡大した

パウロ自身は西暦60年ごろ殉教したと伝えられるが、その弟子がローマ帝国にキリスト教を布教した。それは初期には独自の宗教ではなくユダヤ教の一分派だったが、その一神教は地中海に広まっていた多神教(日本の土着信仰のようなもの)とは対立するので、当初はキリスト教徒は無神論者として弾圧され、多くの殉教者が出た。

このときパウロの奇妙な神学が役に立った。そこでは十字架にかけられたイエスのように、弱い者や虐げられた者から先に天国に入れるので、迫害を受けた者は天国に行ける。特に殉教者は確実に天国に行けるので、初期カトリック教会の司教は、なるべく殉教しやすい任地を希望したという。「死んだら天国に行ける」と信じる宗教が権力との戦いに強いのは、イスラムも一向一揆も同じである。

しかしキリスト教徒が迫害と戦っているうちに、状況は逆転した。共和制になったローマは、広げすぎた版図を統治するために言語や文化の統一を図る必要があり、植民地に赴任した総督はギリシャ語を属州に強制したが、定着しなかったので、ギリシャ語で書かれた聖書を奨励し、文化を統一したのだ。

「信仰のみによって救われる」というキリスト教の信仰は、多くの民族を文化を超えて支配する植民地支配に適していたので、キリスト教はローマの国教になった。その布教に、十字架の神学は役に立った。疫病で多くの人が死ぬのを見たとき、人々は生より死に関心をもつようになる。「罪を悔い改めた者は天国に行ける」という神学が、弱者の救いになった。結果的には、このマーケティングが大成功を収めたことは疑問の余地がない。