カクレキリシタンの実像: 日本人のキリスト教理解と受容
文書偏重の伝統的な歴史学に対して、口頭伝承などの「書かれざる歴史」を発掘したのがアナール学派の社会史だが、語り手は聖職者などの知識人に片寄っていた。それに対して本書の調査した「カクレキリシタン」は、江戸時代に230年にわたって受け継がれ、今も長崎に残る庶民の信仰である。

それは17世紀初めに宣教師が殉教し、知識人のいないまま口づてに伝えられたので、「オラショ」と呼ばれる祈りはラテン語がなまって意味不明になっている。彼らの信仰は固く、摘発されて死罪になっても転ばなかったが、取り調べた役人は彼らが教義をほとんど知らないことに驚いたという。

キリスト教をモデルとしたデュルケームやウェーバー以来の宗教社会学では、教義のない宗教などというものは「呪術」でしかないが、その意味では中世までのカトリック教会も呪術に近い。信徒はギリシャ語の聖書を読めず、神父の説教しか知らなかったからだ。それをドイツ語に訳して印刷したルターは「反逆者」だった。

カクレの人々は聖書さえ知らなかったが、その信仰を「日本的」と呼ぶのは誤りである。それが弾圧に耐えて長く伝えられてきた原因には、進化心理学でわかってきた遺伝的なメカニズムがあると考えられる。
「宗」と「教」の違い

キリスト教が日本に入ってきたとき、井上毅はreligionを「宗教」と訳して「宗教の力を以て治安の器具となさざる事を得ず」と書いた。それは単なる「宗旨」や「宗門」とは違う「教義」であり、国家が教育勅語などで子供に「教育」すべきものと考えられた。宗教は人々の慣習を超えた高等なもので、「国体」もキリスト教を模倣してつくられた。

しかしこの意味での宗教が日本に根づいたことは一度もない。明治憲法にも教育勅語にも「万世一系」の家族的国家観以外には中身がなく、人々がそれを信じたわけでもない。それは終戦直後にGHQが来たら、簡単に捨てたことで明らかだ。

これを「日本的特殊主義」と考えるのが丸山眞男以来の日本の知識人の伝統だが、それは逆である。キリスト教のように複雑な教義をもった宗教が特殊で、日本が普通なのだ。キリスト教に近いのはイスラム教だが、これも起源は同じ一神教で、遊牧民族と戦う中で民族の団結を鼓舞する信仰だった。

「死んだら天国に行ける」と信じる一神教が戦争に強いのは当然で、これがキリスト教とイスラムで人類の半分以上を占める大成功の原因だろう。しかしそういう「外圧」がないと、カクレのように「土着化」するのは自然である。それが少なくとも農耕文化に入ってから人類の続けてきた信仰の形だろう。