西郷隆盛と明治維新 (講談社現代新書)
吉田松陰の唱えた尊王攘夷は、草莽崛起(民衆蜂起)をめざすポピュリズムだった。明治維新は松蔭の思想を受け継いだ「勤王の志士」による革命だったというのが司馬遼太郎の流布した英雄史観だが、明治政府の中に勤王の志士はほとんどいなかった。主な志士は暗殺(あるいは刑死)されてしまったからだ。

生き残った指導者のうち伊藤博文は松蔭の弟子だが、「攘夷」は早い時期に捨てた。「尊王」は残ったが、これは革命思想とはいえない。水戸家の徳川慶喜が「大政奉還」したのは尊王思想によるもので、彼こそ会沢正志斎に学んだ水戸学の本流だった。

ポピュリズムが革命の動力にはなるにはカリスマが必要だが、革命が成功すると、ロベスピエールやレーニンのような指導者は暴走することが多い。明治維新が「ソフトランディング」して普通の政権になったのは、世界史でも珍しい。著者(坂野潤治氏)はその成功の原因を西郷隆盛に求めているが、彼があげた8人の「有志」には松陰は入っていなかった。

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