レーニンとは何だったか
ロシア革命についての最近の研究で印象的なのは、レーニンの影が薄いことだ。革命の中でボリシェヴィキが出てくるのは最後の最後であり、彼らが政権を取れたのはケレンスキーが彼らを軽視していたからだ。ボリシェヴィキの中でもレーニンが武装蜂起を指導したことはなく、彼は演説のへたな引っ込み思案の陰謀家だった。10月革命がポピュリズムの革命だったとすれば、その主人公はトロツキーだったのだ。

しかし革命が暴走した原因も、トロツキーだった。革命の最大の山場は政権奪取後の内戦だったが、トロツキーが赤軍のモデルにしたのはパリ・コミューンではなく、絶対君主の常備軍であり、彼の教科書はマルクスではなくクラウゼヴィッツだった。「チェスをするときマルクスにヒントを得る者はいない。いわんや戦争をする際にマルクスを参照しても始まらない」と彼はいった。

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