完訳 統治二論 (岩波文庫)財産権の元祖ロックの話をしたついでに、彼のpropertyについて少し書いておこう。彼の『統治二論』を知らない人は少ないと思うが、読んだ人はもっと少ないだろう。彼が本書を書いた動機は、よく誤解されるように名誉革命の正当化ではなく、革命で権力を取った王党派の王権神授説の批判だった。

その代表が、フィルマー卿と呼ばれる(今ではロックに論破された人物としてのみ歴史に残る)貴族だった。彼は「神はエデンの園でアダムに王権を与えたので、その権限が長子相続でイギリス国王に受け継がれた」という「万世一系のイギリス国王」説を主張した。バートランド・ラッセルはこう皮肉った。
政治的権力がいかなるやり方においても、子供に対する親の権力と同等に考えるべきだ、といった考えは、日本以外にいるどのような現代人にも思い浮かばないであろう。確かに日本においては、フィルマーの言説ときわめて類似した説が今なお抱かれており、それはすべての教授や学校教師によって教えられねばならないとされている。(『西洋哲学史』p.612)
神の権威に対抗する労働価値説

ロックの原著を読むと多くの人がうんざりするのは、フィルマーの荒唐無稽な主張に対する反論が延々と展開されていることだろう。私も昔、読んだときは投げ出したが、今回読んでみて、むしろロックの思想の根幹に神学があることがわかった。

思想史的には、彼は17世紀の神学的な啓蒙主義から18世紀の世俗的な啓蒙主義に至る過渡的な存在で、その認識論は人間を白板(タブラ・ラサ)とみなすが、政治的には財産権を(生得的な)自然権とみなす「遅れた」思想家だと思われている。前者は進歩的な経験論だが、後者は神学の影響を脱却していないというのが通説だ。

ラッセルもそう分類しているが、財産権の位置づけは不明だ。特に土地の所有権を「自己労働にもとづく所有」として根拠づけようとする論理は破綻している。これはのちにヘーゲルも『法哲学』で指摘し、土地の所有権を正当化するのは「人倫」(共同体)だと考えた。マルクスはロックの労働価値説を徹底して、彼の誤った経済理論を構築した。

現代的には土地の所有権には何の根拠もなく、ただ既得権を初期状態として認めただけだが、権利を一意的に確定することには意味がある。土地の所有者が複数いると、社会主義崩壊後のロシアのようにアンチコモンズが発生して大混乱になる。所得分配は「コースの定理」で決まるので、大した問題ではない。

ロックが批判したのは、フィルマーに代表される「神の権威」で個人の身体の自由を侵害する王党派だった。それがアダムの子孫だという根拠はないが、誰かが権利をもっている必要はある。それに対してロックは私的な「労働」を根拠にした。それは産業革命期のイギリスではブルジョアジーに歓迎されたが、根拠薄弱だった。

丸山眞男はフィルマーの思想に注目して、これは「ついさきごろまで疑うことを許されなかった日本の『国体論』ではないか」と指摘している(「ジョン・ロックと近代政治原理」)。こんな王権神授説を20世紀に信じている国はないが、今どき「生前退位はけしからん」などという日本を、ラッセルと丸山が生きていたら何というだろうか。