ゆうべの言論アリーナは、マスコミの語らない「天皇」がテーマだったが、一つ小さな誤りがある。橋本大二郎さんが昭和天皇の容態を毎日報告し始めたのは、1988年9月からだった。入院のとき、NHKが間違えて「危篤」のマニュアルを適用してしまった。すぐ終わると思ったら100日以上かかり、各社がNHKに追随したため、全国で「自粛」が始まった。

皇居のすべての門の前に各社のテントが並び、真冬にお堀端に徹夜で張り込んだおかげで、カメラマンが1人死んだ。現場から「24時間ベタ張りはやめてほしい」という声が出たが、当時の島桂次会長が「NHKが抜かれたら私は腹を切らなければならん」といった。その結果、撮れたのは、半蔵門から侍医が皇居に入る一瞬の映像だった。張り込みのコストは1日100万円といわれたので、あのワンカットに1億円かかったわけだ。

丸山眞男も1988年11月の座談会で、この異様な雰囲気を自粛の全体主義と呼んだ。それは大正天皇の崩御のときはなかった現象で、むしろ1930年代の「国体」騒ぎの雰囲気に似ているという。「戦争と非常によく似ている。誰が戦争をここまで拡大し、誰の命令でああいうふうになったのか、ついにわからないわけ」。朝日新聞も彼を招待した創立110周年記念行事をキャンセルしたが、理由は不明だった。

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