カール・シュミット著作集 2(1936ー1970)
世界的に「ファシスト」と呼ばれる政治家が台頭しているとき、丸山眞男の「日本ファシズム論」は、あらためて検討する価値があろう。それは伊藤隆氏などの実証的な歴史家には否定されたが、丸山の誤りは今も「安倍はヒトラーだ」などという彼のエピゴーネンに継承されているからだ。

私が彼の「超国家主義の論理と心理」を最初に読んだとき違和感を感じたのは、冒頭の「ヨーロッパ近代国家はカール・シュミットがいうように、中性国家(Ein neutraler Staat)たることに一つの大きな特色がある」という記述だ。それはシュミットの『レヴィアタン』(本書に収録)に書かれているというが、彼の議論は逆である。

確かにシュミットは、ホッブズが「中立的国家」を理想としたと書いているが、それを国家の中立性は欺瞞だと批判したのだ。したがって丸山が日本ファシズムを(理想としての)中性国家とは異なる特殊な「国体」として論じたことも誤りだった。もしシュミットが国体という言葉を知っていたら、「それこそ私の求めるものだ」といっただろう。

国体の基盤は君主の権力ではない

大日本帝国の「表の国体」は、シュミットの理想とする超法規的な主権者としての天皇が決断する「一君万民」の集権国家だった。それは君主制だったが、多くの人々が支持したという意味ではデモクラシーだった。シュミットの思想では単純な多数決はデモクラシーの本質とは無関係であり、議会も必要条件ではない。

しかし天皇がすべて決断できるはずがないので、「例外状態」以外の決定は何者かに委任しなければならない。ドイツでもイギリスでも君主の代理人は首相だったが、明治憲法は内閣を憲法から削除して各省をバラバラにし、議会との関係も断ち切ったので、その空席を埋めるために元老が出てきた。

元老の初期の名称は「元勲」で、明治維新の革命戦争を戦った殊勲者が政権の中枢をになうという意味だった。明治政府は藩閥政権であり、それを動かすのは戦争に勝った将軍だというのが明治国家の「裏の国体」だった。それは明治初期には多くの人にとって自明であり、伊藤博文や井上毅は議会のポピュリズムで政治がミスリードされることを恐れ、議院内閣制が取れないように憲法を設計した。

この点では大統領に「主権」を与えなかった合衆国憲法の思想と似ているが、問題はそこから先だ。アメリカの場合は大統領の裁量権が強まり、連邦政府の政治任用が拡大した。特に軍事・外交では、大統領と国務省・国防総省の権限が強まった。憲法上は大統領には宣戦布告の権限がないが、多くの戦争は宣戦布告なしで始まった。彼の権限を裏づけたのは、与党が議会で多数を占めるケースが多かったからだ。

これに対して明治天皇には軍を指揮する権限がなく、議会も内閣と無関係だったので、「元勲」だけが正統性の源泉だった。しかし試験によって選抜された官僚は藩閥と無関係だから、日清戦争のころから藩閥政権に対する反発が強まり、「元老」になって力は弱まった。

伊藤も晩年に気づいたように、立憲君主制における首相の権力基盤は君主ではなく、議会の支持だった。政党政治を否定した明治憲法の設計には、根本的な欠陥があったのだ。それはシュミットも1940年代に初めて気づいた、非自由主義的デモクラシーの欠陥だった。