現代議会主義の精神史的地位 (新装版)
トランプについての高級紙の論評は、Economistのように分裂する現代の世界が1930年代に似てきたと評している。その主役はヒトラーだが、彼の出現を予告したのはカール・シュミットだった。ポピュリズムを論じる書物には、驚くほど多く彼の名が出てくる。
あらゆる現実の民主主義は、平等の者が平等に取り扱われるというだけではなく、平等でない者は平等には取り扱われないということに立脚している。すなわち、民主主義の本質をなすものは、第一に同質性ということであり、第二に――必要な場合には――異質なものの排除ないし絶滅ということである。(本書第2版まえがき)
民主主義は、自由主義と必ずしも両立しない。民主政治を動かすのは人々の投票を集計する「統計的な装置」ではなく、異質な者を排除して「われわれ」を一体化する感情であり、それは指導者の演説に対する「喝采」で表現される。
私がシュミットの『政治神学』を初めて読んだのは学生のときだが、「ナチスの御用学者で危ないやつ」という評判しか覚えていない。彼の批判したケルゼンが主流の東大法学部では、今も「禁書」に近い状態だ。安保法制が「クーデタだ」などと論評した実定法原理主義者は、その劣化の極致だろう。

ケルゼンの無味乾燥な本に比べると、シュミットのおもしろさは悪魔的だ。本書の民主主義についての規定は、そのままナチスに当てはまる。これは「右翼の思想」というわけでもなく、いま南欧や中南米で広がっている極左の「ラディカル・デモクラシー」が教祖と仰ぐのもシュミットである。

それはシュミットの思想が、本質的に革命思想だからだ。革命とは既存の政権の中で改良することではなく天命が革まることであり、シュミットのいうように憲法制定権力を変えることだから、投票で革命を起こすことはできない。

それは国内的には正しく、ヒトラーを選んだ「主権者」たるドイツ人がその報いを受けるだけだが、主権という言葉は国際的な意味も持つ。ヒトラーのように、自分が全世界の主権者になろうとする妄想を抱く主権者が登場したとき、それを国内的デモクラシーで止めることはできない。

トランプは国内的には独裁者になるかもしれないが、国際的には孤立主義を打ち出している点ではレーニンともヒトラーとも違い、日本にとっては(よくも悪くも)それほど大きな影響はないと思われる。ただ彼が欺瞞的な「戦後日本の国体」をゆさぶることは確かで、これは日本にとっていいことだと思う。