柳田国男: 知と社会構想の全貌 ((ちくま新書 1218))
丸山眞男の「古層」論文を初めて読んだのは学生のときだが、当時はアナール学派の「社会史」が流行していたので、古事記などの文献だけで日本人の「古層」を語るのは古いと思った。これは当時も批判され、彼も自分の決めた「理念型」を文献に見出す方法論は「一種のトートロジーだ」と認めた。

その点では、文献に残されていない伝承を記録する柳田国男の方法論は社会史の先駆ともいえるが、これは丸山とは逆に民話の集積ばかりで理念がよくわからない。また証拠も日付もないので、「昔々の話でしかない」と丸山は軽視していたが、そこには記紀神話のような政治的バイアスのない「古層」がみられる。

本書も似たような問題意識から、丸山と対照して柳田を論じる。その焦点は、国家神道の位置づけだ。丸山はこれを本居宣長と直結し、天皇制のイデオロギーとして批判したが、これは柳田が明らかにしたように誤りだ。「氏神信仰」は天皇家よりはるかに古いのだ。
氏神信仰と「古層」

柳田は終戦のとき70歳だったので、彼の主要な業績は戦前のものだ。農商務省の官僚出身の彼が国家神道を批判することは困難だったろう。その代わり彼が高く評価したのが、氏神信仰だった。これは日本古来の土着信仰の総称で教祖も教義もないが、その最古の形態はシャーマニズムだと柳田は考えていた。

これに対して国家神道では、天皇家は神武天皇に始まる万世一系の系図で基礎づけられる。ここでは「皇祖皇宗」の重みが天皇の権威の源泉になり、平田国学では、その基礎に日本古来の祖先信仰があるとされた。

これは誤りで国家神道は氏神信仰とはまったく別だ、というのが柳田の主張だった。国家神道の起源は幕末にあり、古事記や日本書紀とは別の理由で尊王攘夷派がつくったものだ。それは近世以降の「家」をモデルにしたもので、氏神信仰の基礎になった古代社会とは違う。

柳田は丸山にほとんど言及していないが、彼の氏神信仰論が国家神道批判だとすれば、それは丸山とはかなり違う。丸山も国家神道を「古層」の帰結といった短絡的な図式で考えていたわけではない。行動経済学でいうと、国家神道は意識的な「システム2」だが、「古層」は無意識の「システム1」である。

その形態が丸山のいうような「つぎつぎとなりゆくいきほひ」といった線的なものだったのか、柳田のいうように循環的なものだったのかは不明だが、人々の意識とまったく違う神話が口承で残るはずがない。中世以降の天皇家を支えたのは精神的権威だけだったので、そこには日本人の「古層」に根ざしたものがあったのではないか。