中国の論理 - 歴史から解き明かす (中公新書)
蓮舫騒動では日本人が国家をいかに意識していないかがわかっておもしろいが、中国も別の意味でそうだった。「国家」という言葉は和製漢語で、中国では王朝とか政権という意味だった。ここに国民は含まれていないので、西洋の意味での国民国家は中国(これも和製漢語)にはなかった。

中国の社会秩序の基本はの区別で、国を構成するのは士だけだ。士は人口の1%以下だが社会の頭脳だから、王朝の機能は士の秩序を守ることだけだった。王朝によって士の概念は変わったが、この二元的構造は変わらなかった。士と庶の関係は対外的にはの区別になり、夷が朝貢で恭順の意を示す限り、世界の中心である華が侵略することはなかった。

それが大きな変化を遂げたのが19世紀である。大英帝国がやってきたとき、中国はそれを夷として扱い、侵略されるがままになった。これに対して日本は世界の周辺にあると思っていたので、西洋文明を全面的に取り入れた。この違いが明治維新以降に大きな格差となり、中国から亡命した知識人が日本の「国家」を中国に逆輸出したのだ。
中国に生まれた和製漢語の「人民共和国」

最近の数量経済史の研究によると、1800年ごろまで中国の一人当たりGDPは世界一だったという。これには疑問もあるが、中国が2000年以上にわたって世界の最先進国だったことは間違いなく、人口も圧倒的に多かったので、その国力は世界一だった。したがって彼らが国家や国境という概念をもたず、世界全体を版図と考えたのは自然だった。

しかし19世紀になると、西洋の国々が東アジアまでやってきた。もともと中国の属国だった日本は、「主人」を中国から西洋に乗り換えるだけだったので切り替えは早く、西洋の技術も制度も丸ごとコピーした。文化をコピーするときは似たような漢語に置き換え、漢語がないときは造語で間に合わせた。

そして日本に亡命した梁啓超などの知識人が、取締、取消、引渡、手続、目的、宗旨、権利、義務、代価、法人、当事者、第三者、執行、親族、継承、盲従、同化、進化、場合、衛生、主義、人民などの和製漢語をそのまま中国に逆輸出した。この新民体は漢文としてはひどい悪文だったが、中国には該当する言葉がないので急速に知識人に浸透した。

特に国家という概念のなかった中国には歴史上のすべての王朝の総称がなく、梁も最初は「支那」という和製漢語を使った(だからこれは蔑称ではない)。しかしこれは清を英語でChinaと読んだのを日本人が支那と音訳したものだからおかしいので、彼が「中国」という言葉をつくったのだ。

これが中国に輸出され、それまで各地方でバラバラだった人々がnationの意識を持ち始め、国民党が結成された。これも孫文が日本に亡命していたとき結成した中国同志会が原型だから、日本生まれだ。辛亥革命で彼らは「国家」を建設しようとしたが、大部分の中国人は字も読めなかったので、国家意識など持ちようもなかった。

その意味で中国に初めて国家を建設したのは、(本来は国家の廃絶をめざす)中国共産党だったが、それは国民党の分派のようなものだった。主義が和製漢語なのだから「共産主義」も和製で、毛沢東自身もマルクスはほとんど読んだ形跡がない。社会主義も資本主義も和製漢語で「人民」も「共和国」も和製だから「中華人民共和国」の「中華」以外は和製漢語である。

したがって毛沢東の恐怖政治を「共産主義の悲劇」と呼ぶのも正しくない。それは中国では古くからある専制政治で、毛沢東は共産主義とは無縁だった。その奇怪な国家の起源が日本にあったという事実は考えさせる。