978-4-7593-1406-9
福沢諭吉といえば啓蒙的なモダニストと思われているが、そういうイメージを定着させた丸山眞男が、ほとんどふれなかった2冊の本がある。『明治十年丁丑公論』と『痩我慢之説』である。

福沢は前者では西南戦争で死んだ西郷隆盛を「士魂」の人として賞賛し、後者では明治に生き残って出世した勝海舟と榎本武揚を「忠臣は二君に仕えず」と批判した。両方とも福沢の最晩年や死後に出版されたので、彼も他の著作と異質であることを意識していたのだろう。

本書は、あえてこの二著から出発して「武士としての福沢」を描く。廃藩置県を実行した西郷が明治政府に対して戦争を起こしたのは、合理的には理解しにくいが、政府が江藤新平や板垣退助などを追い出して長州の藩閥政権になったことに対する反乱だった、と『丁丑公論』はいう。とはいえ政府をつくった西郷は戦いに勝ち目がないことを知っていたので、いわば武士の魂に殉じて政府を批判したのだ。

『痩我慢之説』は「立国は私なり、公に非ざるなり」という逆説的な言葉で始まる。これを丸山は「国家を相対化するシニシズム」と読むが、本書の解釈は逆だ。圧倒的に強力な列強と戦うのは痩我慢だが、「強弱相対して苟も弱者の地位を保つものは、単にこの痩我慢に依らざるはなし」と福沢は書く。そういう士魂を捨て、かつての敵に仕える勝や榎本のような日和見主義では日本は今後の戦争に生き残れない、と福沢は批判する。

戦争で大事なのは軍事力だけではなく、国に殉じる武士のエートスだ。それがナショナルに結束しないと列強にはとても対抗できない――という福沢の思想は、実は『文明論之概略』の「国の独立は目的なり、国民の文明はこの目的に達するの術なり」という結論と連続している。それは今の平和ボケには理解できない、東アジアの軍事的緊張の中でのリアリズムだった。

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